大宮敏充(読み)おおみやとしみつ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大宮敏充」の意味・わかりやすい解説

大宮敏充
おおみやとしみつ
(1913―1976)

喜劇俳優。本名恒川(つねかわ)登志夫、前名敏光。タップダンス教師を振り出しに24歳で楽劇一座結成したが失敗、その後、男やもめの「木村デン助」を主人公にした自作自演の「デン助劇」を始めて成功。主として浅草の松竹演芸場を根城に人気を集め、テレビを通じて全国的に有名になった。1973年(昭和48)一座を解散した。筆名は言問(こととい)三平自著に『浅草泣き笑い人生』(1974)がある。

[向井爽也]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大宮敏充」の解説

大宮敏充 おおみや-としみつ

1913-1976 昭和時代の喜劇俳優。
大正2年4月13日生まれ。昭和13年一座を結成。戦後,東京浅草を根城につるつる頭にどんぐり目の主人公デン助喜劇を自作自演して人気をよぶ。テレビでもシリーズ化された。48年,過労でたおれ一座を解散。昭和51年12月23日死去。63歳。東京出身。本名は恒川登志夫。筆名は言問三平。

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世界大百科事典(旧版)内の大宮敏充の言及

【軽演劇】より

…由利・八波・南の〈脱線トリオ〉,三波・戸塚・伊東四朗の〈てんぷくトリオ〉などは〈トリオ漫才〉と呼ばれたが,実態はむしろコントで,幕前で行われる寸劇といったおもむきがあった。こうした人々(〈デン助劇団〉の大宮敏充(1913‐76)なども含めて)の多くが,タップを素養として身につけていることにも注目したい。さびれゆく浅草が生んだ最後の軽演劇スターは,フランス座改め東洋劇場から出た〈コント55号〉の萩本欽一(1941‐ )・坂上二郎ということになろうか。…

※「大宮敏充」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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