大宜味村(読み)おおぎみそん

日本歴史地名大系 「大宜味村」の解説

大宜味村
おおぎみそん

面積:六三・一二平方キロ

沖縄島の北部西海岸側にある国頭郡の村。東シナ海に面している。北東国頭村南東ひがし村、南西は名護市に接する。村内の集落の多くは、山地が海に迫るわずかばかりの平坦地に立地している。海岸沿いにバスが通る国道五八号が延び、道路は整備され概して交通は便利である。字謝名城じやなぐすくの丘に古琉球期の根謝銘ねじやめグスクがある。「おもろさうし」には屋嘉比やはびに関する歌もあり、屋嘉比やはび(現在の田嘉里川)に貿易船が出入りしていたことを伝えている。慶長一四年(一六〇九)の島津氏侵攻後、現在の当村域は国頭方羽地はにじ間切・国頭くんじやん間切に属していたが、康熙一二年(一六七三)に羽地間切から二ヵ村、国頭間切から一一ヵ村を割いて田湊たんな間切が設置され、のち大宜味いぎみ間切と改称

大宜味村
いぎみむら

[現在地名]大宜味村大宜味おおぎみ

東の山地と西の東シナ海に挟まれたわずかな平坦地に立地し、東の大兼久はにく村との間を兼久はにく川が流れる。南は根路銘にみ村。絵図郷村帳・琉球国高究帳に村名はみえない。「琉球国由来記」に大宜味村がみえる。「琉球国旧記」によると、大宜味いぎみ間切の番所は大宜味村にあり、のち塩屋さー村へ移った。オミカサノ嶽・神アシアゲがあり、神アシアゲは城ノロが祭祀をつかさどり、大宜味間切の間切役人として大宜味掟が置かれていた(琉球国由来記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大宜味村」の意味・わかりやすい解説

大宜味〔村〕
おおぎみ

沖縄県沖縄島の北部にある村。村名は琉球王国(→琉球)で用いられた行政区画,間切(まぎり)の名に由来する。山がちで,台地が海岸に迫り海食崖を形成。海食崖上には段々畑が発達している。小河川の三角州や崖下の砂浜に集落が立地。畜産サトウキビパイナップルなどの栽培が行なわれる。北部の喜如嘉(きじょか)などでは伝統の芭蕉布を生産。かつて大宜味の大工は建築業界への進出で知られた。塩屋湾は景勝地で,湾内ではカキ養殖湾岸には国の天然記念物「田港御願(たみなとうがん)の植物群落」がある。旧暦 7月15日に行なわれる塩屋湾のウンガミ(→海神祭)は国の重要無形民俗文化財に指定されている。村域の一部がやんばる国立公園沖縄海岸国定公園に属する。海岸に沿って国道58号線が通り,中央部を 331号線が横断する。面積 63.55km2。人口 3092(2020)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android