大坂銅座(読み)おおさかどうざ

世界大百科事典(旧版)内の大坂銅座の言及

【銅座】より

…しかし大坂登銅が減少したため12年(正徳2)銅座を廃止,長崎御用銅500万斤として大坂銅吹屋仲間17人に請け負わせることとした。さらに銅産は減少し,海舶互市新例(かいはくごししんれい)(1715)の輸出銅定高450万斤(うちオランダ150万斤,中国300万斤)も確保できなくなったため,幕府は1738年(元文3)大坂に銅座を再興し,いっさいの産銅を大坂銅座が独占購入すること,地売銅と長崎輸出銅とのふりわけは出銅高に応じて銅座が決定すること,各鉱山は翌年の年間産銅計画を毎年銅座に申告すること,銅からの絞銀冶金(南蛮絞り)は大坂銅吹屋仲間の独占とすること,などを定めた。長崎輸出銅値段は74年(安永3)の記録によると定高の銅について1ピクル(100斤)当り,中国向けには銀115匁,オランダ向けには銀60匁25と定められていた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」