大唐西域記(読み)だいとうさいいきき

精選版 日本国語大辞典 「大唐西域記」の意味・読み・例文・類語

だいとうさいいきき ダイタウサイヰキキ【大唐西域記】

中国で作られた地理書。一二巻。唐の太宗のとき、玄奘奉勅撰。弟子の弁機の助力を得て、六四六年上奏。六二九年から六四五年のインド旅行中に巡歴した各地の地理、制度、風俗、産業、仏教の状況や伝説などを記述。仏教史、歴史、地理、考古学言語学などの重要史料となっている。西域記。だいとうせいいきき。

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デジタル大辞泉 「大唐西域記」の意味・読み・例文・類語

だいとうさいいきき〔ダイタウサイヰキキ〕【大唐西域記】

中国唐代の僧玄奘げんじょうの西域・インド旅行の見聞録。12巻。弟子の弁機の編録により646年成立。地理・風俗・言語・仏教事情・産物・伝説などを、629年から645年までの遊歴の順に記したもの。西域記。だいとうせいいきき。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大唐西域記」の意味・わかりやすい解説

大唐西域記
だいとうさいいきき

中国、唐の高僧玄奘(げんじょう)(三蔵(さんぞう)法師)がインド旅行(629~645)中の見聞を語ったものを、弟子の弁機(べんき)が筆録した書物。「だいとうせいいきき」ともいう。『西域記』と略称する。646年作。12巻からなり、玄奘の歩いた順に、138か国にわたって、地理、風俗、産物、言語、伝承、仏教事情が述べられており、政治や民族についても貴重な資料となっている。第1巻は中央アジアアフガニスタン、第2巻から第11巻までがインド各地、第12巻がふたたびアフガニスタンと中央アジアにあてられている。記述のなかには玄奘が直接には赴かなかった国についての伝聞もあり、これが玄奘の直接入手した知識と区別されていないので注意を要する。本書の研究には慧立(えりゅう)編『大慈恩寺(だいじおんじ)三蔵法師伝』(玄奘の伝記)が参考になる。本書は、19世紀以降のインド、パキスタン、アフガニスタン、トルキスタンにおける欧米や日本の学者の考古学的調査において重要な指南書となった。また、文学の分野にも影響を及ぼし、怪奇小説『西遊記(さいゆうき)』は本書の刺激によって書かれた。本書のヨーロッパ語訳としては、ジュリアンS. Julienの仏訳(1857~58)、ビールS. Bealの英訳(1884)、ウォッターズT. Wattersの英訳(1904~05)がある。日本では、研究書として堀謙徳(けんとく)『解説西域記』(1912)、足立喜六(あだちきろく)『大唐西域記の研究』(1942~43)のほか、水谷真成(しんじょう)による注釈付き翻訳がある。

[定方 晟]

『水谷真成訳『中国古典文学大系22 大唐西域記』(1971・平凡社)』『前嶋信次著『玄奘三蔵』(岩波新書)』


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改訂新版 世界大百科事典 「大唐西域記」の意味・わかりやすい解説

大唐西域記 (だいとうさいいきき)
Dà Táng xī yù jì

中国,唐の求法僧玄奘(げんじよう)の西域インド旅行記。12巻。弟子の弁機撰。646年(貞観20)に成る。629年(貞観3)に長安を出発し,国禁を犯して求法の旅に出た玄奘は,西域諸国を経てインドに至り,仏教教学の研究と仏跡の巡礼を行った。そして大部の経典をたずさえ,645年に帰国し朝野の歓迎をうけた。その遊歴伝聞した138国(付記16国)の仏跡,風俗,生活などを,太宗の勅命によって編述したものが本書である。巻一には往路に通過した西域の34国について述べ,巻二から巻十一まではインドの諸国について,巻十二に帰路に経由した西域諸国の旅行記をつづっている。とくに仏教の発祥地であり,当時の仏教教学の一大中心たるナーランダー寺の所在した中インドのマガダ国については巻八と巻九の2巻分をあてている。正確無比と称せられる本書は,旅行記の中の白眉であり,当時のインドと中央アジアの歴史地理,仏教史,言語史の資料としてきわめて貴重である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大唐西域記」の意味・わかりやすい解説

大唐西域記
だいとうさいいきき
Da-tang xi-yuji Da-tang xi-yuji

中国,唐の僧玄奘 (げんじょう) 著。 12巻。弁機が文章をまとめ貞観 20 (646) 年に完成。中国,唐初の 17年間にわたってインドへ求法留学した玄奘が,帰国直後,太宗の諮問に答え西域,インドの事情を詳述した旅行記。西域 34国 (巻1) ,北インド (巻2~4) ,中インド (巻4~10) ,南インド (巻 10~11) ,西インド (巻 11) ,帰途の西域 22国 (巻 12) ,計 138国の記事を含み,うち 110国は玄奘の立寄ったところで,28国は伝聞によるという。各国の地勢,方位里程,国情,言語,風俗,伝説,仏教諸派の伝播事情,仏跡などについて精密な記述があり,『慈恩寺三蔵法師伝』に含まれる玄奘の旅行記とあわせみるべきもの。古代のインド,中央アジアに関する最も信頼のおける地誌であり,イギリスの探検家 M.スタインも本書を日常の手引としたほどその資料価値は高い。東西交渉史のうえでも中世のマルコ・ポーロの旅行記と並称される名著。

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百科事典マイペディア 「大唐西域記」の意味・わかりやすい解説

大唐西域記【だいとうさいいきき】

中国,唐の玄奘(げんじょう)の旅行記。629年から645年まで遊歴したインド・西域の110余国の伝聞と,28国を見聞した地誌で,仏教事情,地理,風俗,政治等の詳細な報告書である。弟子弁機が編集。貴重な史料で,多くの学者の研究がある。
→関連項目トカラハッダ

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「大唐西域記」の解説

『大唐西域記』(だいとうさいいきき)

唐の僧侶玄奘(げんじょう)のインド旅行記。弟子の辯機(べんき)が編集。12巻。646年に成立。中央アジアやインドの現状を正確に伝えるほか歴史をも記していて,東洋学の研究に貴重な文献である。

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旺文社世界史事典 三訂版 「大唐西域記」の解説

大唐西域記
だいとうさいいきき

唐僧玄奘 (げんじよう) によるインド旅行報告記
弟子の弁機が玄奘の口述を編集し,646年に完成。12巻。内容は各国の仏教霊跡・風俗・生活などにわたり,西域史・インド史研究の根本史料の1つ。

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世界大百科事典(旧版)内の大唐西域記の言及

【玄奘】より

…門下の窺基,円測,普光らにより新訳経論に依拠した法相宗,俱舎宗が興った。弟子の弁機に編述させた旅行記《大唐西域記》12巻は,彼の伝記である《大唐大慈恩寺三蔵法師伝》10巻ともども,正確無比な記述によって,7世紀の西域,インドを知る貴重な文献であるとともに,小説《西遊記》の素材となったことでも有名である。西安南郊の興教寺に墓所がある。…

【補陀落山】より

…《華厳経》によると,インドの南端にあり,善財童子がそこに赴いて観音に拝謁した。《大唐西域記》には南インドの海岸,マラヤ山の東にあると記述されている。《陀羅尼集経》の注では,海島というとされ,海中の島のように印象づけられている。…

※「大唐西域記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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