大和万歳(読み)やまとまんざい

精選版 日本国語大辞典 「大和万歳」の意味・読み・例文・類語

やまと‐まんざい【大和万歳】

〘名〙 奈良県北葛城郡広陵町広瀬・箸尾付近で発達した万歳。また、その演者。正月に、京坂地方を回った。黒の掛緒の侍烏帽子京極折を着け、萌葱色の素襖上下、紋は白抜きの丸に橘。太夫は扇(赤地に鶴亀文様で黒骨)、才蔵は鼓を持つ。演目に、「柱立」「田植舞」「戎(えびす)舞」などがある。〔咄本・絵本軽口福笑(1768)〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大和万歳」の意味・わかりやすい解説

大和万歳
やまとまんざい

奈良県北葛城(きたかつらぎ)郡地方の広瀬、窪田(くぼた)、箸尾(はしお)、小林などの村落を故地とした千秋万歳(せんずまんざい)。京阪地方を回勤圏(檀那(だんな)場)とし、広瀬はとくに宮中への参仕を許されていて、大正中ごろまで行われていた。由緒をもちながらも来歴は不詳で、現在は絶えたままである。太夫(たゆう)は扇、才蔵は鼓を持つが、服装はともに侍烏帽子(えぼし)、素襖(すおう)。大正の宮中参仕の記録では烏帽子、浄衣、浅葱(あさぎ)の指貫(さしぬき)、木靴である。このときは2組4人で、御所の庭で「柱立(はしらだて)」「田植舞」「えびす舞」などを二組の者が相舞(あいまい)の形で演じている。「田植舞」「えびす舞」は中世の囃子舞(はやしまい)の流れと思われるが、「柱立」は幕末に記された禁中千秋万歳の「言立(ことだつ)」であり、「南蛮胡椒舞(なんばんこしょうまい)」は同じく「京の町」と同類である。ほかに「十二月舞」「手ぶり踊」などの演目があった。

[西角井正大]

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世界大百科事典(旧版)内の大和万歳の言及

【万歳】より

…万歳の宮中への参入は大正時代中ごろまであったといい,民間では第2次世界大戦ころまでは盛んであったが,戦後はしだいに衰微し,現在は全国をめぐり歩く万歳の姿はほとんど見かけなくなった。 民俗芸能として地域に残るのは〈尾張万歳〉〈越前万歳〉〈伊予万歳〉などで,〈三河万歳〉〈秋田万歳〉〈加賀万歳〉〈会津万歳〉〈豊後万歳〉は衰微し,〈大和万歳〉〈仙台万歳〉〈津島万歳〉〈伊六万歳〉,沖縄の〈京太郎(ちよんだらあ)〉は廃絶した(京太郎の芸系をひく民俗芸能は現存する)。 万歳は一般には太夫と才蔵の2人が一組になり,太夫が扇をかざし,いろいろとめでたい寿詞(ほぎごと)を言い立て,才蔵が小鼓を打ち囃して合の手を入れる掛合いで進行する。…

※「大和万歳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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