大分(市)(読み)おおいた

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大分(市)」の意味・わかりやすい解説

大分(市)
おおいた

大分県中東部にある市。県庁所在地。1911年(明治44)市制施行。1939年(昭和14)八幡(やはた)、滝尾(たきお)、東大分の3村、1943年日岡村を編入、1963年(昭和38)鶴崎(つるさき)市、坂ノ市(さかのいち)町、大在(おおざい)村、大南(だいなん)町、大分町と合併。2005年(平成17)野津原町(のつはるまち)、佐賀関町(さがのせきまち)を編入、これに伴い北海部(きたあまべ)郡は消滅した。市名は古代以来の郡名によるが、『豊後国風土記(ぶんごのくにふどき)』に碩田(おおきた)とあるほか、史料はすべて大分とあり、その発生は定説がない。面積502.39平方キロメートル。大分県の中心であり、臨海工業地帯の建設進行に伴い人口増加が顕著であったが、近年は緩慢となっている。人口増加率は、1970~1975年22.9%、1975~1980年12.6%、1980~1985年8.2%、1985~1990年 9.5%、1990~1995年4.5%、1995~2000年2.2%。人口47万8146(2015)、47万5614(2020)。

[兼子俊一]

自然

中心市街地は別府湾(べっぷわん)に面する。市域は、佐賀関半島豊予海峡(ほうよかいきょう)に浮かぶ高島などの島嶼(とうしょ)を含み、南西部には鎧(よろい)ヶ岳(847メートル)、御座(ござ)ヶ岳(797メートル)などの山地が連なり、その北麓(ろく)を大分川支流の七瀬(ななせ)川が流れている。市北西部に溶岩円頂丘(鐘状(しょうじょう))火山の高崎山(たかさきやま)(628メートル)がある。地形は大分川、大野川などのつくる沖積平野が主部をなし、周辺に標高100メートル内外の第三紀層丘陵を巡らし、その上部平坦(へいたん)面の多くは段丘堆積(たいせき)物で覆われている。大分川下流左岸、府内(ふない)(荷揚(にあげ))城跡を中心とする区域が行政、経済、文化の中心をなすが、住宅地は南や東の低地、丘陵に広がりつつある。気候は瀬戸内式気候区に属し、温暖であるが、雨は少ない。気温は年平均16.4℃、1月6.2℃、8月27.3℃。年降水量は1644.6ミリメートル、1月45.4ミリメートル、6月273.8ミリメートル(1981~2000年平均値)。

[兼子俊一]

歴史

古代豊後の国府はこの地の古国府(ふるごう)付近に置かれ、中世豊後国を支配した大友氏もまたこの地にあり、盛時大友宗麟(おおともそうりん)のときには九州の大半に勢力を拡大、京都や南蛮文化(なんばんぶんか)を取り入れ、明(みん)やポルトガルと貿易をして繁栄、キリスト教の保護にも努め、戦国大名の注目を集めた。しかし、大友義統(よしむね)(1558―1605)は豊臣秀吉(とよとみひでよし)によって除封され、鎌倉初期から22代続いた大友氏の豊後支配は終わった。近世、豊後国は小藩分立となり、この地には大分川流域地方を支配した早川、福原、早川(再)、竹中、日根野(ひねの)、大給(おぎゅう)松平(2万2000石)氏らが交替した。野津原地区は旧肥後(ひご)街道の宿場町で、湛水(たまりみず)地区、今市(いまいち)地区には往時の石畳道(県史跡)が残る。佐賀関一帯も近世は肥後領で、岬端(こうたん)に近い小入り江の関(せき)地区は風待ち、潮待ち港として繁栄した。明治に入り、1871年(明治4)大分県設置に際しては県庁の所在地となり、交通、経済、文化上も県の中心的地位を占めるに至った。なお、1963年(昭和38)に合併した鶴崎は、豊後国内肥後藩領の政治の中心地で、港町としても発達した所である。

[兼子俊一]

産業

産業別就業人口比率は、第一次産業2%、第二次産業22%、第三次産業70%(2010)。大分川、大野川沿岸沖積平野には農地が広がり、米作のほか野菜・果樹栽培が盛んである。ニラ、オオバ、ミツバパセリ、イチゴ、ゴボウ、キャベツ、ハクサイ、キュウリ、ジャガイモ、ホウレンソウ、豆類、ユズ、カボス、温州ミカン・甘夏などの柑橘(かんきつ)類、カキ、イチジク、ビワなど生産物は多彩。ほかに畜産、カーネーションやキクなどの花卉(かき)生産もある。水産業ではブリ、アジ、サバ、タチウオサワラなどの漁が行われ、とくに速吸瀬戸(はやすいせと)でとれる佐賀関地区の「関さば」「関あじ」は全国的に有名。臨海工業地帯は製鉄と石油精製、石油化学を中心とし、それぞれ1972年、1964年、1969年に立地したものである。近年は、先端技術産業の誘導を図り、鉄鋼、化学、石油、非鉄金属などの企業が立地し、製造品出荷額は九州第1位となっている(2014)。大分港は重要港湾で、原油、鉄鉱石液化石油ガスなどを輸入、鉄鋼、銅及び銅合金などを輸出し、大在には物流拠点のコンテナターミナル(面積約22ヘクタール)がある。

[兼子俊一]

交通

JR日豊本線(にっぽうほんせん)と豊肥(ほうひ)、久大(きゅうだい)両本線との分岐点で、東九州陸上交通の要地。国道10号、57号、197号、210号、217号、442号、大分自動車道、東九州自動車道が通じる。当初大分市にあった大分空港は、臨海工業地帯の建設に伴い、1971年(昭和46)国東(くにさき)半島の武蔵(むさし)・安岐(あき)地区(現、国東市)に移転した。佐賀関港からは愛媛県三崎へ、大分港からは神戸への航路がある。

[兼子俊一]

観光・文化

歴史が古く、史跡・文化財が多く残る。千代丸古墳(ちよまるこふん)、築山古墳(つきやまこふん)、古宮古墳、亀塚古墳、豊後国分寺跡、大分元町(もとまち)石仏、高瀬石仏、大友氏遺跡は国指定史跡。柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)のクスは国の天然記念物。柞原八幡宮には銅造仏像、太刀などの国指定重要文化財も所蔵される。その他、市内には後藤家住宅(江戸時代の民家)、木造普賢延命菩薩(ふげんえんめいぼさつ)坐像(大山寺蔵)、木造大日如来(だいにちにょらい)坐像(金剛宝戒寺蔵)などの国指定重要文化財がある。別府に近い高崎山の山中にはニホンザルの群れが生息し、「高崎山のサル生息地」として国指定天然記念物となっている。また、国立公園高崎山自然動物園があり、まき餌(え)が行われるサル寄せ場がある。高崎山と2004年にリニューアルオープンした大分マリーンパレス水族館「うみたまご」は、多くの観光客を集めている。市内には瀬戸内海国立公園や日豊海岸国定公園に含まれる地域がある。早吸日女神社(はやすいひめじんじゃ)は式内社。このほか、府内城(大分城)跡公園、大洲(おおず)総合運動公園、高尾山自然公園、県民の森(一部は豊後大野市)などがあり、遊歩公園には、大分の歴史にちなむ記念碑や彫刻が置かれ、西洋音楽発祥記念碑、ザビエル像、ルイス・デ・アルメイダ像、滝廉太郎(れんたろう)像などが並ぶ。伝統的な行事としては賀来(かく)神社卯酉(うとり)の神事は県選択無形民俗文化財、鶴崎踊や坂ノ市の「万弘(まんこう)寺の市(いち)」も有名。だんご汁、小麦粉ときな粉でつくった「やせうま」、フグ料理、オコゼ料理などの名物料理がある。文教施設として、大分大学(2003年大分医科大学と統合)、大分工業高等専門学校、芸術文化短期大学、看護科学大学、大分県立図書館、大分市美術館などがある。2002年の第17回サッカーワールドカップ(日韓共催)では、大分スポーツ公園総合競技場が試合会場となった。また、Jリーグ大分トリニータのホームスタジアムでもある。

[兼子俊一]

『『大分市史』上下(1955、1956・大分市)』『渡辺克巳著『大分今昔』(1964・大分合同新聞社)』


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