大内道(読み)おおないどう

日本歴史地名大系 「大内道」の解説

大内道
おおないどう

佐久郡芦田あした(現立科たてしな芦田小県郡長窪ながくぼ(現長門ながと町古町)とを結ぶ道(現国道二五四号)。室町時代佐久郡の大井氏の勢力下にあったと伝える長窪城(長門町誌・小県郡史)は、この道が依田よだ川を渡る手前、東岸北古屋きたごやの山頂にあった。慶長七年(一六〇二)中山道が開通し佐久郡芦田宿(現立科町芦田)から笠取かさとり峠を越え小県郡長窪宿(現長門町長久保)へ通ずる道が主要街道となる以前は、大内道が佐久郡と小県郡南部を結ぶ主要な道であった(長門町誌)。宝暦三年(一七五三)編述の「千曲之真砂」は「芦田駅より武石松本へ出る道」として「芦田より武石本郷弐里、本道は左へ行、此道ハ町の末より右へ行、小山を登り宇山うやま村、それより又岐道有り、右ハ腰越こしごえ村へ出て小県郡へ行、左武石道也、また山へ上り大内道おおないどう峠といふ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報