大八田村(読み)おおばつたむら

日本歴史地名大系 「大八田村」の解説

大八田村
おおばつたむら

[現在地名]長坂町大八田

夏秋なつやき村の北にあり、南に流れるはと川の沖積平地を囲むように南新居みなみあらい東原ひがしはら下村しもむら大和田おおわだ成岡なりおか町添まちぞえ栗林くりばやし集落がある。北は谷戸やと(現大泉村)。建武四年(一三三七)三月七日の足利直義安堵下文写(諸家文書)に「逸見庄内上大八田村・下大八田村半分」などがみえ、度々の外題安堵、および亡父二階堂行貞の文保三年(一三一九)正月一六日付譲状に任せ、出羽民部大夫(二階堂)政頼に安堵されている。「武田家日坏帳」には元亀二年(一五七一)一一月二〇日に供養された逸見へみ庄大八田住人堀内下総守、天正四年(一五七六)一〇月一八日に供養された「ヘミ大ハタノ村」の堀内下総守の名がみえる。堀内氏は深草ふかくさ館の館主とされる(甲斐国志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報