大休正念(読み)だいきゅうしょうねん

精選版 日本国語大辞典 「大休正念」の意味・読み・例文・類語

だいきゅう‐しょうねん ダイキウシャウネン【大休正念】

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デジタル大辞泉 「大休正念」の意味・読み・例文・類語

だいきゅう‐しょうねん〔ダイキウシヤウネン〕【大休正念】

[1215~1289]鎌倉時代臨済宗の中国僧。大休派の祖。温州永嘉浙江省)の人。北条時宗の招きを受けて文永6年(1269)来日し、建長寺・円覚寺などに歴住、浄智寺を開創した。仏源禅師。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大休正念」の意味・わかりやすい解説

大休正念
だいきゅうしょうねん
(1215―1289)

鎌倉時代の臨済(りんざい)宗の来朝僧。大休派(仏源(ぶつげん)派)の祖。中国温州(浙江(せっこう)省)永嘉(ようか)の人。初め霊隠(りんにん)寺の東谷妙光(とうこくみょうこう)(?―1253/1254)に師事し、のち石渓心月(しっけいしんげつ)(?―1255)に法を嗣(つ)ぐ。先に帰朝していた同門の無象静照(むぞうじょうしょう)(1234―1306)の推薦により、北条時宗(ほうじょうときむね)の招きを受けて、1269年(文永6)来日。蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の厚遇を受け、禅興寺寿福寺、建長寺、円覚(えんがく)寺に歴住、浄智寺(じょうちじ)を開創した。時宗のほか、貞時(さだとき)や時宗の弟宗政(むねまさ)(1253―1281)らと交渉をもち、鎌倉武士に多大な感化を与えた。正応(しょうおう)2年11月75歳で示寂、仏源禅師と諡(おくりな)された。『語録』6巻がある。

[石川力山 2017年3月21日]

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朝日日本歴史人物事典 「大休正念」の解説

大休正念

没年:正応2.11.29(1290.1.11)
生年嘉定8(1215)
鎌倉時代に来日した臨済宗松源派の禅僧。日本禅宗の仏源派の祖。温州(浙江省)永嘉の人。蘇州(江蘇省)万寿寺の東谷妙光に曹洞宗を学び,さらに杭州(浙江省)径山の石渓心月の法を嗣いだ。文永6(1269)年に来日して執権の北条時宗の帰依を受け,鎌倉の金峰山浄智寺(五山第四)の開山となった。また禅興寺,寿福寺,建長寺,円覚寺などに住し,無学祖元らと共に鎌倉禅林の確立に尽力した。同門に無象静照がいる。諡号は仏源禅師。『念大休禅師語録』が存する。

(佐藤秀孝)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大休正念」の意味・わかりやすい解説

大休正念
だいきゅうしょうねん
Da-xiu Zhengnian

[生]嘉定8(1215).温州
[没]正応2(1289).11. 鎌倉
中国,南宋の臨済宗の僧。仏源禅師。大休 (仏源) 派の祖。径山の石渓心月の門下。文永6 (1269) 年日本に渡り,鎌倉の寿福寺,円覚寺,建長寺を歴住し,浄智寺の開山となり,蘭渓道隆,無学祖元らとともに鎌倉の禅宗の興隆に尽した。弘安9 (86) 年の『書状』 (東京国立博物館) などすぐれた墨跡を残したが,書風は太く重々しい感じを特色とする。著書に『大休正念語録』 (6巻) がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大休正念」の解説

大休正念 だいきゅう-しょうねん

1215-1290* 南宋(なんそう)(中国)の僧。
嘉定8年生まれ。臨済(りんざい)宗。文永6年北条時宗のまねきで来日。鎌倉の禅興寺,建長寺,寿福寺,円覚寺の住持をつとめ,浄智寺をひらき,20年にわたって鎌倉武士に禅をひろめた。仏源派(大休派)の祖とされる。正応(しょうおう)2年11月30日死去。75歳。諡号(しごう)は仏源禅師。著作に「大休念禅師語録」。

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