大中臣輔親(読み)おおなかとみのすけちか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大中臣輔親」の意味・わかりやすい解説

大中臣輔親
おおなかとみのすけちか
(954―1038)

平安中期の宮廷歌人。能宣(よしのぶ)の男、伊勢大輔(いせのたいふ)の父。祭主、神祇伯(じんぎはく)となる。10世紀末の三代集(さんだいしゅう)歌風完成期に能宣の薫陶を受けて歌人となり、初め藤原朝光(閑院左大将)に近侍したが、やがて道長・頼通(よりみち)に神祇官としての才腕を買われて正三位(しょうさんみ)神祇伯に至り、歌会、屏風歌(びょうぶうた)、大嘗会(だいじょうえ)歌などの応召歌人としても重用された。1035年(長元8)「賀陽院水閣歌合(かやのいんすいかくうたあわせ)」の判者。長暦(ちょうりゃく)2年6月24日卒。85歳。若いころの佳詠に「足曳(あしひき)の山ほととぎす里なれてたそがれ時の名のりすらしも」(拾遺集)があり、勅撰入集(ちょくせんにっしゅう)歌31首、家集『輔親集』は子女の選。

[後藤祥子]

『保坂都著『大中臣家の歌人群』(1972・武蔵野書院)』

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改訂新版 世界大百科事典 「大中臣輔親」の意味・わかりやすい解説

大中臣輔親 (おおなかとみのすけちか)
生没年:954-1038(天暦8-長暦2)

平安中期の歌人。祭主神祇大副能宣(よしのぶ)の長男。伊勢大輔(いせのたいふ)の父。文章生,勘解由判官を経て祭主正三位神祇伯にいたる。神事の家に生まれて公卿となり,祖父頼基,父能宣につづく重代の歌人という出自や経歴から宮中や摂関家の歌壇で重用され,三条・後一条・後朱雀各朝の大嘗祭に風俗(ふぞく)歌や屛風歌を献じ,関白頼通の《賀陽院(かやのいん)水閣歌合》には判者をつとめた。《拾遺集》以後の勅撰集に31首入集。家集《輔親卿集》を残す。
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朝日日本歴史人物事典 「大中臣輔親」の解説

大中臣輔親

没年:長暦2.6.22(1038.7.26)
生年天暦8(954)
平安時代の神祇官人,歌人。中古三十六歌仙のひとり。能宣と越後守藤原清兼の娘との子。伊勢大輔の父。長保3(1001)年2月伊勢神宮祭主となり,神祇権大副,神祇大副を経て,神祇伯正三位に至る。三条,後一条,後朱雀天皇の3代にわたり大嘗会和歌を詠進するなど,皇室,貴顕信望を得て,後拾遺集時代の代表的歌人として活躍した。家集に『輔親卿集』(没後,子女の手によって編まれた他選家集)があり,『拾遺集』以下の勅撰集に31首入集。<参考文献>保坂都『大中臣家の歌人群』

(浅見緑)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大中臣輔親」の解説

大中臣輔親 おおなかとみの-すけちか

954-1038 平安時代中期の公卿(くぎょう),歌人。
天暦(てんりゃく)8年生まれ。大中臣能宣(よしのぶ)の子。伊勢大輔(いせのたいふ)の父。長保3年伊勢神宮祭主,のち神祇伯となる。正三位。中古三十六歌仙のひとりで「拾遺和歌集」などの勅撰(ちょくせん)集に31首がはいっている。長暦(ちょうりゃく)2年6月22日死去。85歳。字(あざな)は中槐。家集に「祭主輔親卿集」。

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