精選版 日本国語大辞典 「大中臣能宣」の意味・読み・例文・類語
おおなかとみ‐の‐よしのぶ【大中臣能宣】
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平安中期の宮廷歌人。三十六歌仙の一人。頼基(よりもと)の男、輔親(すけちか)の父。祭主、神祇大副(じんぎたいふ)となる。951年(天暦5)、31歳のとき、梨壺(なしつぼ)の五人の一人に選ばれ、『万葉集』訓点、『後撰集(ごせんしゅう)』撰集作業に従った。「天徳(てんとく)四年内裏歌合(だいりうたあわせ)」(960)をはじめ、「円融院(えんゆういん)・資子(しし)内親王乱碁(らんご)歌合」「左大臣頼忠(よりただ)前栽合(せんざいあわせ)」「寛和(かんわ)二年内裏歌合」「皇太后詮子瞿麦合(せんしなでしこあわせ)」などに出詠、冷泉(れいぜい)、円融天皇の大嘗会(だいじょうえ)歌を詠進し、円融、花山(かざん)の両天皇から二度にわたり「家集」を召された。実頼(さねより)、兼通(かねみち)、兼家など権門の求めに応じ、屏風歌(びょうぶうた)、行事和歌の専門歌人として清原元輔(もとすけ)と双璧(そうへき)をうたわれたが、敦実(あつみ)親王家の子日(ねのひ)の歌のできばえを誇って父頼基にたしなめられた話(『袋草紙』)は、大中臣家の歌道相承の厳しさを象徴している。『拾遺集』以下の勅撰集に124首入集(にっしゅう)。
[後藤祥子]
ちとせまでかぎれる松も今日よりは君にひかれてよろづ代や経む
『山口博著『王朝歌壇の研究 村上・冷泉・円融朝篇』(1967・桜楓社)』▽『保坂都著『大中臣家の歌人群』(1972・武蔵野書院)』
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(浅見緑)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…951年(天暦5)10月,村上天皇の勅命によって,《万葉集》の訓釈と第2番目の勅撰集《後撰集》の撰という二つの事業が課せられ,内裏の後宮にある昭陽舎(梨壺)に初めて撰和歌所が置かれた。別当(長官)には左近少将藤原伊尹(これただ)が任ぜられ,讃岐大掾大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ),河内掾清原元輔,学生源順(みなもとのしたごう),近江少掾紀時文,御書所預坂上望城(さかのうえのもちき)の5人が事にあたった。能宣,元輔は当代歌人の代表者,順は和漢にわたる随一の学識者,時文は能筆の者,望城は御書所の図書責任者であったから,それぞれの能力や立場に応じて撰集と訓釈という両面の仕事が分担されたと想像される。…
※「大中臣能宣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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