日本大百科全書(ニッポニカ) 「大リーグ」の意味・わかりやすい解説
大リーグ
だいりーぐ
Major League
アメリカのプロ野球における最上位のリーグ。メジャー・リーグ、MLB(Major League Basebal)ともいう。ナショナル・リーグ(1876年創設)とアメリカン・リーグ(1900年創設)で構成される。
[福島良一]
プロチーム誕生までの歴史
1845年、ニューヨークの技師アレクサンダー・カートライトによって、初めて塁間距離27.44メートル、9イニング攻守交代など、現在のゲームの原型となる野球規則が制定された。そして、そのカートライトが最初の野球チーム、ニッカーボッカー野球クラブを結成、翌46年6月19日にニュー・ジャージー州ホボーケンのエリジアン・フィールドで初めて野球規則に基づいて試合を行い、人気を博した。
その後、初の野球記者ヘンリー・チャドウィックがボックススコア(新聞紙上で試合ごとに選手の個人記録を詳細に示す成績表。両チームの得点経過のみを示すものはラインスコアとよばれる)を考案し、新聞に野球コラムを掲載した。それによって、野球のプレーを容易にイメージすることができるようになり、興味をもつ人がしだいに増えていった。また、大衆の人気と比例してチーム数も急増していった。試合ごとに多くの観衆が入場するのをみてとり、球団関係者はゲームに必要な経費を観客に入場料として課し、球場施設を完備し、よい野球用具を用意し、選手たちに給料を支払えば、さらにすばらしい試合をみせることができるのではないかと考えた。当時、すでに一般大衆は野球のゲーム観戦に喜んで入場料を支払うほど、ゲームの魅力に取りつかれていた。
こうして、1869年に最初のプロ野球チームとして、シンシナティ・レッドストッキングスが誕生。かつてニッカーボッカー野球クラブに所属し、母国イギリスではクリケットの名選手だったハリー・ライトが監督兼中堅手になった。この年レッドストッキングスは全米各地へ遠征し、地元のアマチュア野球チームと対戦、翌70年にかけて69連勝し、圧倒的な強さを誇った。その後、レッドストッキングスは財政上の理由から解散したが、人々に強い印象を残し、各都市にプロ野球チームが次々と誕生する下地をつくった。
[福島良一]
大リーグ創設
1871年には最初のプロ野球リーグ、ナショナル・アソシエーションが9球団で創設された。同リーグは、もめ事や不正事件などのためわずか5年で消滅したが、1876年2月にニューヨークなど大都市を背景として、フランチャイズ・システムによる新しいプロ野球リーグ、ナショナル・リーグ(ナ・リーグ)が誕生した。ナ・リーグは8球団で構成され、それによって取り残された球団はインターナショナル・リーグ、アメリカン・アソシエーションなどを結成した。これらがマイナー・リーグの元祖であるが、ナ・リーグの実力と権威は他のリーグを引き離し、ついにメジャー・リーグ(大リーグ)とよばれるようになった。
[福島良一]
2リーグ制スタート
さらにナ・リーグに対抗すべく、1892年に元新聞記者のバン・ジョンソンが中心となり、当時レッドストッキングスの監督を務めていたチャールズ・コミスキーらの協力を得て、ウェスタン・リーグを結成。当時はマイナー・リーグの一つにすぎなかったが、ナ・リーグと同じようにアメリカ東部の都市に本拠地を設け、1900年に名称もアメリカン・リーグ(ア・リーグ)と改めた。それによって、前年まで12球団で組織されていたナ・リーグが8球団に戻り、新興のア・リーグも8球団でスタート。ここに二大リーグ時代を迎えた。
ア・リーグの創設にあたって、最初のうちナ・リーグはまったく協調せず、また主力選手たちも引き抜かれたため、大リーグ球界は混乱した。しかし、ア・リーグの発展をみるにつけ、結局両リーグは争いの愚を悟り、共存の道をとるようになった。その結果、1903年にナショナル・コミッションができ、両リーグから委員が選ばれ、球界一般の指針となるような諸規則や申合せを決定したので、野球界は安定的に発展するための基礎を得た。また、シーズン終了後に両リーグの優勝チームどうしが対戦し、真の優勝チームを決めるワールド・シリーズが実現した。後年、全米で人気を集める一大イベントに発展した発端であり、1905年以降毎年開催されるようになった(1994年は選手会ストライキのため中止)。
ナ・リーグ創設当時は、強豪チームのほとんど全部がその傘下に集まっていたが、後にア・リーグが組織されるに及んで、大都市に本拠をもち、名実ともに備わったチームのすべてが両リーグに集中し、取り残された他球団は実際に実力が低いものとなってしまった。両リーグ以外のマイナー・リーグはアメリカの中小都市に本拠を置き、実力順にAAA、AA、A、B、C、Dの6階級に分かれ、その後AAA、AA、A、ルーキー・リーグの4階級に縮小された。
[福島良一]
名プレーヤーの登場
アメリカで野球が「ナショナル・パスタイム」(国民的娯楽)とよばれ、大リーグがアメリカ最大のプロスポーツとして発展するまでには、さまざまなできごとがあった。
まず、1919年にワールド・シリーズで八百長(やおちょう)事件が起こった。その年、ワールド・シリーズはシカゴ・ホワイトソックスとシンシナティ・レッズの対戦となり、ア・リーグ優勝のホワイトソックスが圧倒的に有利といわれた。しかし、意外にもナ・リーグ優勝のレッズに3勝5敗で敗退した(1903年、1919~21年のシリーズは9回戦制で実施)。後にケネソー・マウンテン・ランディス初代コミッショナーが調査した結果、ホワイトソックスのシューレス・ジョー・ジャクソン外野手をはじめ、主力8選手が八百長事件に関与したとして、球界から永久追放処分を受けた。世にいう「ブラックソックス事件」である。
この大リーグ史上最大の汚点ともいうべき事件によって、アメリカの国民的娯楽であるはずの大リーグは社会的な信用を失い、観客動員数も激減していった。しかし、その名誉を回復させたのが、のちに国民的ヒーローとなるベーブ・ルースであった。1920年にボストン・レッドソックスからニューヨーク・ヤンキースへ移籍し、投手から打者へ転向した。それ以来、ルースは豪快なホームランを量産し、それまで飛ばないボールの時代には見たこともない大きな打球にファンは熱狂し、大リーグは華やかになり、黄金時代を迎えることになった。
第二次世界大戦が終わって、1947年に大リーグ史上初の黒人選手として、ジャッキー・ロビンソンが登場した。彼がブルックリン(現ロサンゼルス)・ドジャースの選手として人種の壁を破ったことによって、それまで社会の底辺で苦しい生活を続けていた人々に大きな勇気を与えた。これによって大リーグは黒人選手たちに門戸を開き、黒人だけのリーグから優秀な選手たちが次々に大リーグの世界に入った。こうして、大リーグは国境や人種、ことばの壁を越えて、だれもが実力さえあればプレーできる時代となり、中南米諸国をはじめ、いろいろな国々から一流プレーヤーたちが参加するようになった。
[福島良一]
フランチャイズの拡大
そのころ、まだ大リーグ各球団の本拠地はアメリカ東部から中部に密集しており、最西部でミシシッピ川流域のセントルイスまでであった。1950年代に入って飛行機など交通機関が発達してくると、チームの本拠地移転ラッシュが始まった。まず、1953年にボストン・ブレーブスがミルウォーキーへ移転して大成功を収めると、54年にセントルイス・ブラウンズがボルティモアへ、55年にフィラデルフィア・アスレチックスがカンザス・シティへと相次いで移転した。そして、1958年にブルックリン・ドジャースとニューヨーク・ジャイアンツがロサンゼルスとサンフランシスコへそれぞれ大陸横断し、アメリカ全土へとフランチャイズが広がった。
本拠地移転によって人気が定着し始めると、今度は第三のリーグ設立の解決策として、1960年代から従来の8球団ずつから球団数を拡張、いわゆるエクスパンションの時代を迎えた。まず、1961年にア・リーグ、62年にナ・リーグが2球団ずつ増えて10球団、69年に両リーグとも2球団ずつ増えて12球団となり、同時に東西2地区制を採用した。さらに1977年にア・リーグ、93年にナ・リーグが2球団ずつ増えて14球団となり、94年から東中西の3地区に再編成された。そして、1998年にア、ナ両リーグとも1球団ずつ増やし、同時にミルウォーキー・ブリュワーズがア・リーグからナ・リーグへ移動した。それによって、ア・リーグが14球団、ナ・リーグが16球団となり、両リーグあわせて30球団となった。
大リーグでは球団数拡張の過程において、1969年に史上初めてアメリカ合衆国以外のカナダに本拠地を置くチームとして、モントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)が誕生。続いて、1977年にはトロント・ブルージェイズも誕生し、国際的なスケールへと発展していった。
[福島良一]
シーズンの日程
大リーグは例年3月下旬から4月上旬にシーズンが開幕し、9月下旬から10月上旬まで26週間にわたってペナントレースが繰り広げられる。その一定の期間に各球団は162試合の公式戦(リーグ戦)を行い、ホーム、ロードで81試合ずつを消化する。また、7月上旬には各球団の持ち回りによって、1933年以来オールスター・ゲームが1試合だけ行われる。ところで、両リーグとも同一地区だけでなく、各地区のチームとも公式戦を行う。さらに、1994年から95年にかけて行われた労使紛争によるストライキで凋落(ちょうらく)した人気を回復するために97年からインター・リーグも始まり、両リーグ間の交流試合が初めて公式戦として行われるようになった。また、1996年に大リーグ史上初めてアメリカ合衆国およびカナダ以外のメキシコで公式戦が行われた。2000年(平成12)には初めて日本で公式戦が行われた。
毎年10月になるとプレーオフ、そしてワールド・シリーズが行われる。まずは両リーグとも東、中、西各地区の優勝チームと、それ以外に各地区2位のなかで最高勝率チーム、いわゆるワイルドカードの4チームでプレーオフが行われる。その対戦方式は、まずリーグごとにディビジョン・シリーズ(5回戦制。原則として、地区優勝チームのなかでもっとも勝率の高いチームとワイルドカードのチーム、2番目に勝率が高いチームと3番目のチームが対戦)を行い、勝ち上がったチーム同士がリーグ優勝チームを決めるためのチャンピオンシップ・シリーズ(7回戦制)を行う。そして、最後にワールド・シリーズ(7回戦制)が行われ、先に4勝したチームが優勝、文字どおり「世界一」の座につく。
[福島良一]
『ナショナルジオグラフィック著、椿正晴他訳『アメリカン・ベースボール』(2002・日経ナショナルジオグラフィック社)』