多胡郡(読み)たごぐん

日本歴史地名大系 「多胡郡」の解説

多胡郡
たごぐん

当郡の成立事情は「続日本紀」和銅四年(七一一)三月六日条に「割上野国甘良郡織裳、韓級、矢田、大家、緑野郡武美、片岡郡山等六郷、別置多胡郡」とある。現多野たの吉井よしい池の御門いけのみかどに所在する多胡碑(国指定特別史跡)はその記念碑である。両者を考え合せると、六郷三〇〇戸で建置され、郡司には「羊」が実質的には任命され、諸条件からみて多胡碑の所在地が郡衙の跡と推定されている。さらに天平神護二年(七六六)五月八日条に「在上野国新羅人子午足等一百九十三人賜吉井」とあるから、新羅人が中心となって甘楽かんら郡から独立し、建置されたものとみられる。この建郡により上野国は一四郡となる。東と南は緑野みどの郡、北は片岡かたおか郡、西は甘楽郡に接していた。郡の名称は「和名抄」国郡に「胡音如呉」と注している。

「万葉集」巻一四に「吾が恋はまさかもかなし草枕多胡の入野の奥もかなしも」「多胡の嶺に寄せ綱延へて寄すれどもあにくやしづしその顔良きに」と詠まれる「多胡入野」「多胡嶺」は比定地不明であるが郡内の地であろう。多胡の「胡」は外国あるいは渡来人のことで、渡来人が集住し、やがて建郡されたことで命名されたものと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の多胡郡の言及

【多胡碑】より

上野(こうずけ)三碑の一つ。711年(和銅4)の上野国多胡郡の新設を記した碑で,群馬県多野郡吉井町大字池字御門に所在する。牛臥(うしぶせ)山産出の砂岩を高さ126cm,幅60cmの柱状に切り出して造り,その上に中央を高くした一辺90cmの正方形をした笠石をのせる。…

※「多胡郡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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