百科事典マイペディア 「多々良浜の戦」の意味・わかりやすい解説
多々良浜の戦【たたらはまのたたかい】
→関連項目阿蘇惟時
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…1336年(延元1∥建武3)2月宮方の菊池武敏が大宰府を攻め,少弐貞経を自殺させた。その直後に京都を追われた足利尊氏が筑前に到着し,同年3月菊池氏の大軍を多々良浜の戦で破り,大宰府に入った。尊氏は一色範氏を鎮西管領として博多に残し東上した。…
※「多々良浜の戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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