夕陽丘(読み)ユウヒガオカ

デジタル大辞泉 「夕陽丘」の意味・読み・例文・類語

ゆうひがおか〔ゆふひがをか〕【夕陽丘】

大阪市天王寺区の地名藤原家隆が住んだ夕陽庵せきようあんがあった所。

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日本歴史地名大系 「夕陽丘」の解説

夕陽丘
ゆうひがおか

四天王寺の西から生国魂いくくにたま神社に至る地域の総称夕陽山ゆうひやまともいった。現在の天王寺区夕陽丘町付近が中心。上町うえまち台地に位置して西側が急傾斜の崖をなし、昔は海が入込んでいたためこの地から難波の海を一望することができた。平安末期に浄土信仰が広まり、四天王寺の西門付近は落日から西方浄土を憶念する日想観を修する地として注目され多くの人々が参集した(→四天王寺。当然、西門に接して広がる夕陽丘の地も霊地としての位置を占めるに至る。この地は日想観を修するのに最適であったため、浄土信仰と深いかかわりをもつ寺院や遺跡も多い。一心いつしん寺は法然が日想観を行った庵室と伝え、聖徳太子勝鬘経を講じたという勝鬘しようまん(愛染堂)北西には、鎌倉初期の歌人藤原家隆の墓所といわれる所があって府史跡に指定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「夕陽丘」の意味・わかりやすい解説

夕陽丘
ゆうひがおか

大阪市天王寺区にあり、上町(うえまち)台地のほぼ中央部西端にあたる地。1236年(嘉禎2)歌人藤原家隆(いえたか)が移り住み、「ちぎりあれば難波(なにわ)の里にやどり来て波の入り日をおがみつるかな」の歌を詠んだところから、夕陽丘の地名が生まれたと伝える。家隆塚がある。勝鬘院(しょうまんいん)(通称、愛染堂(あいせんどう))をはじめ寺院が多く、また付近には短期大学や高校があり、学園地区をなしている。地下鉄谷町(たにまち)線が通じ、阪神高速道路環状線の夕陽丘出入口がある。

[位野木壽一]

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