壱万村(読み)いちまんむら

日本歴史地名大系 「壱万村」の解説

壱万村
いちまんむら

[現在地名]松山市中一万町なかいちまんまち東一万町ひがしいちまんまち西一万町にしいちまんまち勝山かつやま町二丁目・道後一万どうごいちまん道後今市どうごいまいち

松山平野のほぼ中央部に位置する農村。東および北は道後村、西は味酒みさけ村、南は持田もちだ村と城下町に接する。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の温泉郡の項に「壱万村」とあり、天保郷帳は「市万村」と記す。

この村から弥生後期の土器が出土し、また平形銅剣が発掘されている。古代には温泉郡井上いのえ(和名抄)に属したと考えられる。中世には河野氏の支配下にあった。近世に入り加藤嘉明蒲生忠知の治世を経て、寛永一二年(一六三五)以降松平氏による松山藩領となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報