増仁村(読み)ぞうにむら

日本歴史地名大系 「増仁村」の解説

増仁村
ぞうにむら

[現在地名]高岡市戸出大清水といでおおしみず

庄川下流左岸、現中田なかだ橋の西橋詰付近。四周を大清水おおしみず村に囲まれる。慶長一〇年(一六〇五)八月二三日の前田利長判物(「諸留覚書」川合家文書)に「そうに村」とみえ中田村船渡場の管理が申付けられた。元和五年(一六一九)の家高新帳では戸出又右衛門組に属して「僧信」とみえ、役家数二。正保郷帳では高四三石余、田方二町五反余・畑方三反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高五三石・免三ツ八歩(三箇国高物成帳)。庄川の洪水のため、貞享三年(一六八六)に一六石、享保一六年(一七三一)に二八石余の川崩れ引高があり、その後も川崩れのため天保一〇年(一八三九)の高はわずか一斗で(「高物成帳」菊池家文書)、実質的には大清水村に含まれていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android