境
さかい
群馬県南東部、佐波郡(さわぐん)にあった旧町名(境町(まち))。現在は伊勢崎市(いせさきし)の南東部を占める地区で、利根(とね)川分流の広瀬川および利根川に臨む。旧境町は1889年(明治22)町制施行。1955年(昭和30)采女(うねめ)、剛志(ごうし)、島の3村と合併。1957年世良田(せらだ)村の一部を編入。2005年(平成17)伊勢崎市に合併。東武鉄道伊勢崎線、国道17号(上武(じょうぶ)道路)、354号が通じる。中心集落の境の地名は、かつて佐位(さい)・新田(にった)両郡の境界にあったことから名づけられ、江戸時代の日光例幣使(にっこうれいへいし)街道の宿場町、繭(まゆ)・生糸(きいと)の市場町として発達、いまは境北部工業団地なども造成され、繊維工業、電気機器製造業が盛んである。利根川北岸の平塚(ひらつか)は、江戸時代の銅街道(あかがねかいどう)の終点で、足尾(あしお)銅山生産の御用銅の積出し河岸(かし)(河港)としてにぎわった。上武士(かみたけし)の「赤椀節(あかわんぶし)」は樽(たる)に赤椀を添えて歌う八木節(やぎぶし)の一種。伊与久(いよく)にある十三宝塚遺跡は国指定史跡。
[村木定雄]
『『境町歴史資料』全5巻(1957~1964・境町)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
さか【境】
〘語素〙
さかい。境界。「海
(うな)さか」「岩さか」など。
[語誌](1)動詞「さく(裂・割)」と同源で、「なは(
縄)━なふ(
綯)」「つか(塚)━つく(築)」「をさ(長)━をす(治)」等と同様の関係(「さか(境)━さく(割)」)であると考えられる。
(2)「
天津磐境」〔
書紀‐神代下〕、「海界」〔
万葉‐一七四〇〕など複合語でみられ、また「泉津平坂」〔書紀‐神代上〕、「海坂」〔
古事記‐上〕のように「坂」が用いられることもある。
(3)「さか」を動詞化した「さかふ」、その連用形「さかひ」が
名詞として定着し、境の
意での「さか」の語形は
上代でも
古語となっていたようである。
さか・う さかふ【境】
[1] 〘他ハ四〙
① こちらとあちらを区別する。境界をつける。さかいとする。わけへだてる。
※書紀(720)成務五年九月(北野本訓)「則はち山河(やまかは)を隔(サカヒ)て国(くに)県(あがた)を分(わか)つ」
※太平記(14C後)一九「勇士猛将の陣を取て敵を待つには、後は山により、前は水を
堺(サカ)ふ事にてこそあるに」
② 物事の区別をはっきりさせる。
※名語記(1275)八「相撲のめたられにて相論するをさかふ如何。同前、堺の如し。勝負の堺也」
[2] 〘他ハ下二〙 (一)に同じ。
※御伽草子・胡蝶物語(有朋堂文庫所収)(室町末)「峯をさかへ、谷を限り」
さかい‐・する さかひ‥【境】
〘他サ変〙 さかひ・す 〘他サ変〙 境界をつける。境目とする。
※慶応再版英和対訳辞書(1867)「Abut 境ヒシテ居ル、転輳スル、隣リテ居ル、一道ニナル」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
境
さかい
群馬県南東部,伊勢崎市南東部の旧町域。利根川左岸にある。 1889年町制。 1955年采女村,剛志村,島村の3村と合体。 1957年世良田村の一部を編入。 2005年伊勢崎市,赤堀町,東村と合体して伊勢崎市となる。中心集落の境は日光例幣使街道の宿場町で2,7の日を市日とする六斎市が立ち,繭,生糸,絹織物の取り引きで繁栄した。利根川沿いの平塚は銅街道の終点で,足尾の銅,米,雑穀の積み替え河岸であった。繊維,電気機器,自動車部品などの工場がある。太田市,埼玉県本庄市などへの通勤者も多い。9世紀の官衙跡,十三宝塚遺跡 (国指定史跡) がある。
境
きょう
viṣaya
仏教用語。視覚 (眼) ,聴覚 (耳) ,嗅覚 (鼻) ,味覚 (舌) ,全身体的触覚 (身) ,心の感覚 (意) の6種の知覚器官 (六識 ) によって知覚される対象のことで,それぞれ,形 (色) ,音声 (声) ,匂い (香) ,味 (味) ,接触されるもの (触) ,考えられるもの (法) をいう (→六境 ) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
さかい【境】
堺とも書く。あらゆる事物や空間を区切るさまざまな仕切り(境界)。歴史上,境は原始社会から現代に至るまで,小は家と家の境,耕地と耕地の境などから,大は国郡などの行政区分上の境や国境まで普遍的に存在する。 日本の古代では,山や川などの天然・自然の境界物が基本的な境とされていた。《出雲国風土記》に登場する国堺・郡堺の記載50例(重複を含む)をみると,山が15例,水源1例,川が10例であり,さらに埼3例,浜1例,江1例を加えれば,国郡の堺の7割が自然の境界だった。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
世界大百科事典内の境の言及
【六境】より
…仏教では,認識作用の対象(対境)を〈境(きよう)〉という。認識する感覚器官とその働きを合わせて〈根(こん)〉といい,眼(げん)(見る),耳(に)(聞く),鼻(び)(嗅ぐ),舌(ぜつ)(味わう),身(しん)(触れる)の五根にはそれぞれ対応する対象があり,それらを順次に色境(しききよう)(いろ・かたち),声境(しようきよう)(声や音),香境(こうきよう)(香りや臭気),味境(みきよう)(甘・辛などの味),触境(しよくきよう)(触覚による冷・暖,堅・軟など)の五境とする。…
【境相論】より
…堺相論とも書く。中世の成立期から顕著になり,近世初頭まで繰り返された所領などの境界をめぐる紛争。中世成立期,とくに11,12世紀になると,山野河海の開発,荒廃田畠の再開発などが活発化し,荘,保,別符,名などの多くの中世的所領が,内部に中世的な〈村〉を生み出しながら成立してきた。…
【塚】より
…山岳信仰との関連でいえば,富士信仰や出羽三山(でわさんざん)信仰に代表されるごとく,その山岳を遥拝するために築かれた塚もみられ,それが本来は祭場として機能していたといえる。また塚の築かれる場所が境界であることも多い。境は単に範域を区分するという意味にとどまらず,この世(現実界)とあの世(冥界・他界)とを分ける場所でもある。…
【道】より
…1888年出版の2万分の1地形図矢倉沢村を見ると,当時の〈従小田原駅至甲府道〉をそれて〈地蔵〉〈倉〉地籍を通る小道がある。この道の西北,県境に近く739.4mのところに足柄峠があり,この道を足柄道と呼んでいる。この道は倉近くから尾根通りを通って,駿河国駿東郡竹之下村に向かっている。…
※「境」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報