塩竈(市)(読み)しおがま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「塩竈(市)」の意味・わかりやすい解説

塩竈(市)
しおがま

宮城県中央部にある港湾都市。市名の表記は「塩釜」とも書く。仙台市の北東にあり、松島湾に面する。1941年(昭和16)市制施行。1950年浦戸(うらと)村を編入。市名は、古く塩をつくるための塩釜を祀(まつ)ったことに由来する。東部は松島湾域の一部を占め、桂(かつら)島、寒風沢(さぶさわ)島などの浦戸諸島があり、西部は海岸沿いを除いては丘陵性の地形をなす。松島湾の支湾塩釜湾奥に塩釜港がある。JRの東北本線、仙石(せんせき)線、国道45号が通じる。塩竈神社は古代より多くの人々の尊崇を集めてきた。平安末期に平泉(ひらいずみ)の藤原忠衡(ただひら)(1167―1189)が寄進したという鉄灯籠(とうろう)が残されている。戦国時代にはすでに商業が発達していたらしく、近世に入ると仙台藩伊達(だて)氏が塩竈神社の社殿を造営し繁栄を図り、また城下町仙台の建設によりその外港としての機能が加わった。さらに17世紀末には4代藩主綱村(1659―1719)が、租税免除、仙台で消費する魚の陸揚げなどの特令による保護を行ったため、漁港や商港として繁栄した。松島湾内の寒風沢は風待ち港としてにぎわい、1857年(安政4)に仙台藩の洋式軍艦が建造された地としても知られる。鳴瀬(なるせ)川河口の野蒜(のびる)築港の失敗後、1885年(明治18)塩釜の築港工事が完成し、また、1887年には鉄道の塩釜線が開通して物資集散地となり、1929年(昭和4)には魚市場がつくられ、以後塩釜港は漁港として急速に発展した。1965年(昭和40)新魚市場が旧魚市場の対岸に完成した。塩釜港は2001年(平成13)特定重要港湾の指定を受け、港名を仙台塩釜港と変更した(2011年、港湾法改正により、特定重要港湾から国際拠点港湾に変更)。製造業のなかでは水産加工業がとくに発達し、なかでも水産練り製品の生産高は日本有数。また、ノリ、カキアサリ養殖も盛ん。塩竈神社、松島湾への観光客が多く、観光船の発着地となっている。面積17.37平方キロメートル、人口5万2203(2020)。

[後藤雄二]

東日本大震災〕2011年の東日本大震災では死者42人、住家全壊672棟・半壊3278棟の被害を受けた(消防庁災害対策本部「平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について(第159報)」平成31年3月8日)。2017年には改装工事を終えた塩竈市魚市場が落成したが、2018年3月現在、防波堤・漁港物揚場(ものあげば)等の復旧など、さらなる復興に向けた事業に取り組んでいる。

[編集部 2019年10月18日]

『『塩竈市史』6巻(1955~1985・塩竈市)』


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