塩津(読み)しおつ

精選版 日本国語大辞典 「塩津」の意味・読み・例文・類語

しおつ しほつ【塩津】

滋賀県伊香郡西浅井町の地名琵琶湖の最北奥に位置する港。商港として栄えた。

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日本歴史地名大系 「塩津」の解説

塩津
しおつ

須須すず神社の東、あい崎の南に営まれた浦方集落。製塩の盛んな地域を後背地とするため塩の積出湊として機能したことから地名があったとされるが、能登北東端の重要な港津の意とも考えられる。天正六年(一五七八)八月二二日の上杉景勝朱印状(刀禰文書)によれば、「能州塩津四郎右衛門尉」は海上の御用を命じられるとともに、正院しよういん湊を出入りする船一艘の、能登を含む上杉氏の分国中での諸役を免除されている。四郎右衛門尉は塩津の浦刀禰で積極的に日本海水運に乗出していた人物とみられる。

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改訂新版 世界大百科事典 「塩津」の意味・わかりやすい解説

塩津 (しおつ)

滋賀県長浜市の旧西浅井町塩津浜古代以来の琵琶湖北岸の港市。北陸道の敦賀津と平城京,平安京とを結ぶ交通の要衝である。《延喜式》の諸国運漕雑物功賃の項では,敦賀・塩津間の駄賃,塩津・大津間の船賃が規定されている。中世初頭の塩津は八条院領の荘園で,以後,後高倉院,式乾門院,室町院,永嘉門院,伏見宮貞成親王と,皇族領として伝領された。室町時代には伏見宮領と南禅寺末寺の聖厳寺領とが並存している。塩津荘地頭職は承久の乱後,小串民部大夫に恩給され,その後小串入道の婿の熊谷直村に譲与された。1425年(応永32)以降,塩津荘代官職をめぐって領家と代官との争論があり,34年(永享6)以前には山田某が代官職にあり,35年以後は鎌倉時代以降同荘の地頭であった熊谷氏が代官職を兼務した。

 江戸時代に塩津荘は塩津浜,塩津中,祝山,岩熊,野坂,横波,余,集福寺,沓掛の村に分かれる。1634年(寛永11)以後は永井氏,元禄期は本多氏,1724年(享保9)以後は大和郡山の柳沢氏の支配下に入った。その中で塩津浜村は石高555石余(《天保郷帳》)で,1838年(天保9)には家数199軒,人口792人,77年には254軒,952人と増加している。明治10年代の地勢調査では村人農業のほか〈物資ノ貨送及ビ旅籠屋造酒家醬油屋〉に従事し,〈近世マデハ微々タル寒村ニ過ギザリシガ維新以来敦賀港ニ達スル道路ヲ開ラキ随テ湖上ノ水路皆此地ニ通ジ日ヲ追テ繁盛ニ赴キ汽船ノ往復日夜絶ヘサルニ至リ〉とあって,江戸時代に一時衰退した敦賀・塩津間交通も維新後復活した。この区間は1669年(寛文9),1720年(享保5),84年(天明4),1811年(文化8),57年(安政4)に開削通水による小舟の運行計画が立てられたが実現せず,維新後,運輸の発展による塩津浜の繁栄も,北陸線開通によって急速に衰退した。
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百科事典マイペディア 「塩津」の意味・わかりやすい解説

塩津【しおつ】

琵琶湖北岸,近江国伊香(いか)郡にある地名。現滋賀県西浅井町(合併し,現在は長浜市)の塩津浜にあたる。畿内と北陸道諸国を結ぶ陸路の要所であるとともに,大津まで諸国の物資を運ぶ重要な湊津で,湖北三湊の一と称された。《万葉集》には塩津山や塩津が詠まれている。《延喜式》には敦賀(つるが)―塩津の間の駄賃,塩津―大津の間の船賃が定められている。中世には八条院領の塩津荘がみえており,後高倉院・式乾門(しきけんもん)院・室町院・永嘉門院・伏見宮貞成(さだふさ)親王へと伝領され,室町期には京都南禅寺領もみえている。1425年以降に同荘の代官職をめぐり領家と代官が相論となっている。地頭は小串氏からその婿の熊谷直村に譲与されている。江戸時代には塩津浜・塩津中・祝山(ほりやま)・岩熊(やのくま)・野坂などの諸村に分かれ,はじめ山城淀藩領であったが,のち甲斐甲府藩領,大和郡山藩領,三河吉田藩領となる村があった。敦賀と結ぶ塩津街道は五里半越(ごりはんごえ)ともよばれ,若狭(わかさ)小浜藩は街道筋に番所・札場米蔵を置いている。1681年の船数は400石船2艘を含めて145艘で,1858年には6軒の問屋があった。→七里半越

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「塩津」の意味・わかりやすい解説

塩津
しおつ

滋賀県北部、長浜市(ながはまし)の一地区。旧塩津村。琵琶(びわ)湖最北岸の塩津湾に位置し、塩津浜集落は古代から琵琶湖水運の要港として、また敦賀(つるが)(福井県)へは塩津街道が通じてにぎわった。「高島の阿渡(あど)の湊(みなと)を漕(こ)ぎ過ぎて塩津菅浦(すがうら)今か漕ぐらむ」(『万葉集』巻9)など、北部の塩津山とともに古歌にも詠まれる。塩土老翁(しおつちのおじ)を祭神とした塩津神社があり、本殿は県指定文化財。JR北陸本線柳ヶ瀬(やながせ)トンネル開通後は一時衰退したが、塩津街道が国道8号として整備され活況を呈しつつある。

[高橋誠一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「塩津」の意味・わかりやすい解説

塩津
しおつ

滋賀県北部,長浜市西部の旧村域。琵琶湖北岸に位置する。1955年永原村と合体して西浅井村となり,1971年町制。2010年長浜市に編入。かつては湖港で,塩津街道(現国道8号線)の要地。平安時代から江戸時代まで琵琶湖水運の要津として栄え,北国の貢米や物資を船積みした。その後は農村となったが,往時の船溜りや問屋などが残る。

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