塩の行進(読み)シオノコウシン

デジタル大辞泉 「塩の行進」の意味・読み・例文・類語

しお‐の‐こうしん〔しほ‐カウシン〕【塩の行進】

the Salt Satyagraha》1930年にインドガンジーが、英国による塩の専売制に反対するために行った抗議運動。自分たちの手で海水から塩を作るため、海岸までの約380キロメートルの距離行進した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「塩の行進」の解説

塩の行進(しおのこうしん)
Salt March

ガンディーが1930年に,イギリスの課す塩税や塩の専売政策に抗議して組織した行進。ガンディーは,当時インド国民会議派の主導下で高まっていた反英,独立要求の機運を受けて,支持者を伴ってアフマダーバードからダンディーの海岸までを歩き,ここで法を破り海水から塩をつくった。これを機にインド各地で塩が製造・販売され,さらに外国製品や酒のボイコット,地税不払いなどの運動が加わり,大規模な市民的不服従運動へと発展した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「塩の行進」の解説

塩の行進
しおのこうしん

1930年イギリス政庁による塩専売に反対してガンディーが行った抗議行動
アフマダバードからダンディ海岸までの360㎞を行進し,海岸で塩作りを行った。行進の途中多く民衆が加わり,非暴力・不服従の大きなデモンストレーションとなった。この行動がインドの民族意識高揚に果たした役割も大きかった。

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世界大百科事典(旧版)内の塩の行進の言及

【ガンディー】より

…そして第1次大戦後,ローラット法反対,アムリッツァル虐殺糾弾,ムスリムのヒラーファト運動を糾合して19‐22年に展開された第1次サティヤーグラハ闘争は,彼をインド民族運動の最高指導者として位置づけた。30年には,イギリス行政の象徴である塩税の侵犯(塩の行進)に始まる第2次サティヤーグラハ闘争を指導し,これを通じて農民大衆を含むインド内のあらゆる階級・階層の人々を未曾有の規模で反英政治闘争に組み入れていった。彼はまたこの過程で,少数派ではあるがJ.ネルーを先頭とする国民会議派内急進派と,V.パテールやR.プラサードら多数・保守派を会議派組織の中で巧みに統合し,かつビルラー財閥をはじめとするインド民族資本の支持をもとりつけることによって,会議派を最大の大衆的民族運動組織へと成長させた。…

※「塩の行進」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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