塚原渋柿園(読み)つかはらじゅうしえん

精選版 日本国語大辞典 「塚原渋柿園」の意味・読み・例文・類語

つかはら‐じゅうしえん【塚原渋柿園】

小説家江戸の人。本名(しずむ)歴史小説を多く書いた。明治一五年(一八八二)「東京日日新聞」の記者となり、以後同紙専属の作家。著「由井正雪」「水野越前」「木村重成」など。嘉永元~大正六年(一八四八‐一九一七

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デジタル大辞泉 「塚原渋柿園」の意味・読み・例文・類語

つかはら‐じゅうしえん〔‐ジフシヱン〕【塚原渋柿園】

[1848~1917]小説家。江戸の生まれ。本名、しずむ。歴史小説を多く書いた。作「由井正雪」「天草一揆」「木村重成」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「塚原渋柿園」の意味・わかりやすい解説

塚原渋柿園
つかはらじゅうしえん
(1848―1917)

小説家。江戸・市ヶ谷(いちがや)に生まれる。本名靖(しずむ)。渋柿、蓼洲(りょうしゅう)と号す。家は代々幕臣維新により没落。静岡に転じ、洋学を学んで上京福地桜痴(おうち)の東京日日(にちにち)新聞に入社。歴史小説家として活躍。『天草一揆(あまくさいっき)』『由井正雪(ゆいしょうせつ)』『木村重成(しげなり)』(以上1907)、美濃郡上(みのぐじょう)の金森騒動を描いた『侠足袋(きゃんたび)』(1909)などは、時代背景の客観的描写に加えて、稚拙ではあるが個人の内面描写に意を用いている点を評価したい。「明治の〈外的・ロマンチック・客観的〉歴史小説の大成者」(柳田泉)である。

[山崎一穎]

『『明治文学全集89 明治歴史文学集(1)』(1975・筑摩書房)』『柳田泉・勝本清一郎・猪野謙二編『座談会・明治文学史』(1961・岩波書店)』

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朝日日本歴史人物事典 「塚原渋柿園」の解説

塚原渋柿園

没年:大正6.7.5(1917)
生年:嘉永1.3.1(1848.4.4)
明治時代の小説家。本名靖,号を縦死,蓼州,志かま,十四庵,時迂叟。江戸市ケ谷生まれ。旧幕臣市之丞昌之とタキの長男。明治1(1868)年静岡藩士となり静岡に移り,沼津兵学校,静岡医学校,浅間下集学所で洋学を学ぶ。一時小学教員となるが,明治7年横浜毎日新聞入社。同11年『東京日日新聞』に転ずる。15年ソウルに壬午事変がおこった際,社命をおびて朝鮮に渡り,「入韓紀実」を同新聞に掲載。帰国後同紙の小説を担当し,『天草一揆』『由井正雪』(ともに1907年)などの歴史小説家として知られる。『昆太利物語』(1888~90)などの翻案もあり,北村透谷らに影響を与える。また翻訳に『魯国事情』(73),さらに著作集『渋柿叢書』全12巻(1907~10)もある。<参考文献>『明治歴史文学集(一)』(明治文学全集89巻)

(佐伯順子)

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百科事典マイペディア 「塚原渋柿園」の意味・わかりやすい解説

塚原渋柿園【つかはらじゅうしえん】

小説家。本名靖(しずむ)。別号,蓼州,十四庵など。江戸生れ。1878年《東京日日新聞》に入社,1887年福地桜痴と《昆太利物語》(ディズレーリの《コンタリーニ・フレミング》の翻案)を共訳,刊行。その後は歴史小説家として知られ,生涯執筆活動を続けた。代表作に《天草一揆》《由井正雪》《侠足袋》《木村重成》など。
→関連項目大衆文学

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「塚原渋柿園」の解説

塚原渋柿園 つかはら-じゅうしえん

1848-1917 明治-大正時代の小説家。
嘉永(かえい)元年3月1日生まれ。幕臣の子。沼津兵学校,静岡医学校などでまなぶ。横浜毎日新聞をへて明治11年東京日日新聞にうつり,記者をつとめる一方で歴史小説をかいた。大正6年7月5日死去。70歳。江戸出身。本名は靖(しずむ)。別号に蓼洲(りょうしゅう),十四庵など。作品に「天草一揆」「由井正雪」「侠足袋(きやんたび)」など。

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