塔【とう】
平面の大きさに比して著しく高い建造物。記念碑的なものあるいは宗教的意図から生まれたものが多く,自然石柱を立てることに始まり,造形意欲と技術との結合によって発展した。特に中世の宗教全盛時代に多く,西欧では教会堂と結びついて,内陣,西正面等に建てられ,各時代の様式を特徴づけたほか,イタリアでは鐘塔として独立。同様にイスラム圏ではミナレットとして独自のものが作られた。仏教国では仏舎利崇拝を起源とするストゥーパの築造に始まり,高塔に発展して仏教信仰の中心となった。日本でも明治期に西洋建築が入ってくるまで,塔は仏塔に限られ,木や石を材料として作られた。寺院の大塔としては木造塔が多く,三重塔や五重塔等の多層塔と多宝塔が普通で,石塔は宝篋(ほうきょう)印塔や五輪塔等供養塔や墓塔として作られた小規模のものが多い。
→関連項目飛鳥寺式伽藍配置|水煙|大官大寺|宝塔
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
塔
とう
tower
建築用語。幅に対して高さが圧倒的に大きい建物の総称。一般に居住の機能を欠き,高いゆえに生れる,すなわち周囲を見渡せる,周囲から一見できる,広い範囲に音や電波を放射できるという特徴に基づく機能のために存在し,ときには記念性や象徴性をもって建造されることもある。塔の建設はときに現実の必要をこえた熱狂を生むこともあり,中世イタリアの都市では名門の家が塔を競って建てた。今日でもサンジミニャーノやボローニャにはその名残りがみられる。中世後期のヨーロッパの都市は競って時計塔を建て,19世紀にも再度そのブームがみられた。また宗教建築においても仏教建築のパゴダやイスラムのモスクのミナレットのように塔が重要な主題となることが多い。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
とう タフ【塔】
〘名〙 (stūpa の音訳語である「
卒塔婆(そとば)」の略)
① 仏骨などを安置したり、
供養、
報恩などをしたりするために、土石や塼
(せん)などで高く築いた建造物。その形態、
材質など種々変遷し、きわめて種類が多い。三重塔・五重塔・大塔・多宝塔・
宝篋印塔など。
※法隆寺伽藍縁起并流記資財帳‐天平一九年(747)「塔壱基 五重、高十六丈」
② 高くそびえた細長い建物。〔工学字彙(1886)〕
[語誌]インドでは本来、
遺骨を埋葬する塚または墓を指したが、
釈尊の
死後、その遺骨(仏舎利)を安置し、祀るための建造物が作られ、それを指すようになった。
あららぎ【塔】
〘名〙
※皇太神宮儀式帳(804)「塔を阿良々支と云」
※浄瑠璃・田村麿鈴鹿合戦(1741)一「願を叶へ給はらば阿良良伎(アララギ)を立千万の染紙より、有がたふ存じまする」
※教訓抄(1233)六「古記云、〈略〉其の舞の名阿良々木(アララキ)」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
デジタル大辞泉
「塔」の意味・読み・例文・類語
とう〔タフ〕【塔】
1 《「卒塔婆」の略》仏教建築における仏塔。仏舎利を安置し、あるいは供養・報恩などのために設ける多層の建造物。
2 高くそびえる建造物。「教会の塔」「テレビ塔」
[補説]書名別項。→塔
[類語](2)尖塔・タワー・鉄塔・塔屋・五重の塔
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
塔
末弘喜久の小説。2000年発表。同年、第24回すばる文学賞受賞。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
とう【塔】
一般に,幅・奥行きに比べて著しく高い建造物,と定義される。しかし,塔には人間が昇っていく場所という意味内容が伴っており,そのため煙突は塔とはいえず,テレビ塔や電波塔もそれだけでは高い構築物にすぎない。また,古代ローマの記念柱であるトラヤヌスの円柱は,中を螺旋(らせん)階段が昇り,塔ともいえる。先史時代の巨石記念物や古代エジプトのオベリスクは,石塊そのものであって塔ではない。 多くの場合,塔は発生的には軍事上の目的(監視,防御)あるいは宗教上の目的(天上世界の希求)をもっており,同時に塔はそれを実現し,支える権力の象徴ともなった。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
世界大百科事典内の塔の言及
【木】より
…エリアーデは,これを〈中心のシンボリズム〉と定義している。 このような宇宙軸の観念は前3000年から前4000年ころにすでにあり,樹木にかぎらず,柱,棒,塔,山はみなこのシンボリズムを共有する。その代表的なものはスカンジナビアに伝わる〈エッダ〉の中にうたわれたイグドラシルと呼ばれるトネリコの木である。…
【寺院建築】より
…これが中央アジアを経て後漢代(1~3世紀)に中国に伝えられた。塔殿と僧房その他を有する建築群に官衙(かんが)や宮宅の形が応用されて,官庁の意である寺という呼び方が使われ,外来宗教(今日ではキリスト教を除く)の施設が寺と呼ばれた。院は障壁で包まれた一部の意で,寺の一部分を指したものである。…
【新羅】より
…また,新羅末期には地方自立の傾向をうけて,禅宗が地方豪族と結合して各地で栄え,禅宗九山という多様な宗派を生み出した。 三国時代の新羅の仏教文化は初め高句麗の,のちに百済の影響をうけながら,皇竜寺の伽藍址や芬皇寺石塔のように,覇気と調和美とをもつものであった。統一時代前半の文化は,雁鴨池(がんおうち),石窟庵,仏国寺などにみられる宗教的な情熱を秘めた貴族文化である。…
【塔頭】より
…禅宗寺院の子院で塔中とも書く。高僧の住房や庵居から発展し,その墓(塔)を守って弟子が相伝した。…
【つり橋】より
…日本では,1973年関門橋の完成に続く本州四国連絡架橋の具体化に伴ってつり橋建設技術は飛躍的に発展しつつある。
[つり橋の構成と形式]
一般につり橋の主要な構成要素は,(1)主要部材としての主ケーブル,(2)主ケーブルの張力を大地に導くアンカーブロック,(3)主ケーブルの最高点を支える塔,(4)補剛桁(充腹桁またはトラス桁),(5)補剛桁を主ケーブルにつるすつり材の五つである(図1)。つり橋は補剛桁の支持条件によって図2のように分類できる。…
【仏教美術】より
…しかし,釈迦が滅するや,大衆は〈法〉のみでは満足せず,しだいに〈仏〉を主体とする造形を生み出していった。その一つは早くからみられ,荼毘(だび)に付された釈迦の遺骨(舎利)を人々は求め,舎利は分配され,これを中心に塔が建立された。舎利信仰の隆盛にともない,塔は石造化し,さらに塔門や柵には浮彫が施され,荘厳化が進む。…
※「塔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報