塔尾陵(読み)とうのおりよう

日本歴史地名大系 「塔尾陵」の解説

塔尾陵
とうのおりよう

[現在地名]吉野町大字吉野山

後醍醐天皇陵。如意輪によいりん寺本堂の後方、塔尾山の山腹にある。延元えんげん陵ともいう。「太平記」巻二一「先帝崩御事」に「玉骨ハ縦南山ノ苔ニ埋ルトモ、魂魄ハ常ニ北闕ノ天ヲ望ント思フ(下略)」との綸旨を残し、左手に経巻、右手に剣を按じて崩御、とあり、遺言によって北向きに葬られたという。正平二年(一三四七)河内四条縄手の戦場に向かう楠木正行一族はここに決別し(太平記)、「新葉集」巻一九には新待賢門院が正平四年「塔尾の御陵に詣で給はむとてかの山に登らせ給ひけるに蔵王堂はじめさならぬ坊舎どもも皆煙となりけれど、御陵の花ばかりは昔に変らず咲きて」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の塔尾陵の言及

【如意輪寺】より

…延喜年間(901‐923)日蔵道賢の創建と伝えられる。南北朝期,後醍醐天皇の吉野潜幸の際勅願寺となり,1339年(延元4∥暦応2)天皇が没するとともに堂後に陵を築いて塔尾陵(延元陵)と称した。1347年(正平2∥貞和3)12月27日,南下する北朝軍を迎え討とうとする楠木正行(くすのきまさつら)が,出陣にあたり本堂如意輪堂の壁板に将士一同の名を書き連ね,〈かへらじとかねておもへば梓弓なき数に入る名をぞとどむる〉と辞世の歌を残したことが《太平記》にみえる。…

※「塔尾陵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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