報徳二宮神社(読み)ほうとくにのみやじんじや

日本歴史地名大系 「報徳二宮神社」の解説

報徳二宮神社
ほうとくにのみやじんじや

[現在地名]今市市今市

如来によらい寺の東方にあり、かつては同寺の墓地であった。二宮尊徳祭神とし、明治三〇年(一八九七)遷座式で完成。翌三一年嗣子尊行(弥太郎)および門人富田高慶を合祀。旧県社。二宮尊徳(金次郎)は天明七年(一七八七)相模国足柄上あしがらかみ栢山かやま(現神奈川県小田原市)に生れ、文政五年(一八二二)から小田原藩主大久保氏一族の旗本宇津知行所下野桜町さくらまち(現芳賀郡二宮町)の復興仕法に当たり、以後七〇年の生涯の後半生は下野・常陸下総の三国にまたがる各地各領の復興仕法を手がけた。

報徳二宮神社
ほうとくにのみやじんじや

[現在地名]中川郡豊頃町二宮

牛首別うししゆべつ川とその支流久保くぼ川の合流点南方、通称丸山まるやまにある。旧村社。祭神は二宮尊徳命。興復社が明治三〇年(一八九七)からウシシュペツ原野に農民入植を始めると、その用地撰定時に展望個所となった丸山に栃木県今市いまいち(現今市市)の報徳二宮神社遥拝所の標木を建立した。移住民は年間一戸一〇銭を同三五年から社殿造営基金として積立て、これが五〇〇円となった大正九年(一九二〇)に労力奉仕で社殿を建設、今市の報徳二宮神社から二宮尊徳命の分神を迎え、内務大臣の認可による神社とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「報徳二宮神社」の意味・わかりやすい解説

報徳二宮神社
ほうとくにのみやじんじゃ

神奈川県小田原(おだわら)市城内に鎮座。旧県社。通称、二宮さん。江戸末期の農政家である二宮尊徳(そんとく)を祀(まつ)る。尊徳の思想報徳社に受け継がれ、1891年(明治24)報徳社員により社殿が造営され、同94年4月、大祭を執行、1906年(明治39)県社に列した。例祭は5月第3日曜日。ほかに筆祭り(1月2日)、神徳景仰祭(9月第3日曜日)がある。また、当社の向かい側にある報徳博物館には二宮尊徳関係の歴史資料が多く所蔵されている。

三橋 健]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android