堂島新地二丁目(読み)どうじましんちにちようめ

日本歴史地名大系 「堂島新地二丁目」の解説

堂島新地二丁目
どうじましんちにちようめ

[現在地名]北区堂島浜どうじまはま一丁目

堂島新地一丁目の西に延びる二町分で、堂島川に南面する。貞享四年(一六八七)新撰増補大坂大絵図に新築地として町域が現れる。大坂三郷天満組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数一五・役数一四役で、うち年寄分一役が無役。大川おおかわ(現東区)淀屋門前に開かれていたと伝える米市場が、元禄一〇年一丁目から二丁目辺りに移った。いわゆる堂島米市場で、江戸時代中期の地図には二丁目の浜側に米市場の記載がある。享保年間(一七一六―三六)米価調節のため買米を命じ、また一転して同一七年の蝗害対策に当たった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報