堀杏庵(読み)ほりきょうあん

精選版 日本国語大辞典 「堀杏庵」の意味・読み・例文・類語

ほり‐きょうあん【堀杏庵】

江戸初期の儒医。名は正意。字(あざな)は敬夫。近江国滋賀県)の人。儒学藤原惺窩に、医を曲直瀬(まなせ)正純に学んだ。尾張徳川義直仕え晩年幕府に召されて諸家系図伝編集にあずかった。著に「新定武家系図伝纂」「杏陰集」「東行日録」など。天正一三~寛永一九年(一五八五‐一六四二

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デジタル大辞泉 「堀杏庵」の意味・読み・例文・類語

ほり‐きょうあん〔‐キヤウアン〕【堀杏庵】

[1585~1643]江戸初期の儒学者。近江おうみの人。名は正意まさおき。儒学を藤原惺窩ふじわらせいかに学んだ。寛永8年(1631)より尾張藩儒官、のち、幕命で「寛永諸家系図伝」を編纂へんさん

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「堀杏庵」の意味・わかりやすい解説

堀杏庵
ほりきょうあん
(1585―1642)

江戸前期の儒学者。医者堀徳印の子。近江(おうみ)国(滋賀県)生まれ。名は正意(まさおき)、字(あざな)は敬天、別号杏隠。京都の藤原惺窩(ふじわらせいか)に師事し、林羅山(はやしらざん)・松永尺五(まつながせきご)・那波活所(なわかっしょ)とともに惺窩門下の四天王と称された。医を曲直瀬正純(まなせまさずみ)(1559―1605)に受け、国典や詩歌にも長じ、紀州藩主浅野幸長(あさのよしなが)に仕えた。浅野家転封で広島に行き、1631年(寛永8)に尾張(おわり)藩主徳川義直(とくがわよしなお)に仕えて儒官となる。のち幕命により弘文院にあって『寛永(かんえい)諸家系図伝』の編集を林羅山と担当した。

[今中寛司 2016年7月19日]

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朝日日本歴史人物事典 「堀杏庵」の解説

堀杏庵

没年:寛永19.11.20(1643.1.10)
生年:天正13.5.28(1585.6.25)
江戸時代前期の儒学者。名は正意,字は敬夫,通称は与十郎。杏庵,杏隠,蘇巷,敬庵,茅山山人と号した。祖父定澄は近江国(滋賀県)野村城主。父徳印は曲直瀬道三門の医師。医学を曲直瀬正純に,儒学を藤原惺窩に学ぶ。林羅山,那波活所,松永尺五と惺窩門四天王と称された。はじめ,紀伊の浅野幸長に仕え,次いで,浅野長晟に従って広島に移った。のち,徳川義直の懇望で尾張に移り,藩儒として活躍。晩年,幕命で『寛永諸家系図伝』の編集に当たる。惺窩没後の門弟間の確執調停に当たるなど,温厚篤実な人物であった。<著作>『杏陰集』<参考文献>原念斎『先哲叢談』

(柴田純)

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百科事典マイペディア 「堀杏庵」の意味・わかりやすい解説

堀杏庵【ほりきょうあん】

江戸初期の朱子学者,医者。名は正意,字は敬夫。近江(おうみ)の人。藤原惺窩(せいか)に学び,林羅山(らざん)・松永尺五(せきご)・那波活所(なわかっしょ)とともに惺窩門下の四天王といわれた。安芸(あき)広島藩,のち尾張(おわり)名古屋藩に仕え重用された。晩年は幕府にも仕え,諸家の系図を編纂(へんさん)した。著書《新定武家系図伝纂(しんていぶけけいずでんさん)》《杏庵文集》など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堀杏庵」の解説

堀杏庵 ほり-きょうあん

1585-1643* 江戸時代前期の儒者。
天正(てんしょう)13年5月28日生まれ。医学を曲直瀬正純(まなせ-しょうじゅん)に,儒学を藤原惺窩(せいか)にまなぶ。安芸(あき)広島藩主浅野長晟(ながあきら),尾張(おわり)名古屋藩主徳川義直につかえた。晩年,幕命で「寛永諸家系図伝」を編集。寛永19年11月20日死去。58歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。名は正意。字(あざな)は敬夫。通称は与十郎。別号に杏陰。著作に「杏陰集」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「堀杏庵」の意味・わかりやすい解説

堀杏庵
ほりきょうあん

[生]天正13(1585).5.23. 近江
[没]寛永19(1642).11.20.
江戸時代初期の朱子学者。名は正意,字は敬夫,通称は与十郎,別号は杏隠,蘇巷。医師堀徳印の子。7歳のとき京都に出て藤原惺窩に朱子学を学び,林羅山,松永尺五,那波活所とともに惺窩門下の四天王と称された。医学も曲直瀬 (まなぜ) 正純に学び,医正意と称した。芸州藩儒,尾州藩儒を経て,晩年は江戸幕府に出仕し,『諸家系図伝』の編集に参与。著書『新定武家系図伝纂』『太閤朝鮮征伐記』『東行日録』。

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367日誕生日大事典 「堀杏庵」の解説

堀杏庵 (ほりきょうあん)

生年月日:1585年5月28日
江戸時代前期の尾張藩士;安芸広島藩士;儒学者
1643年没

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世界大百科事典(旧版)内の堀杏庵の言及

【漢詩文】より

…【玉村 竹二】
【近世】
 近世初期,漢詩文を制作するうえで必要とされる漢語その他中国文化万般にわたる知識をもっとも豊富に有していたのは儒者であったから,近世における漢詩文の歴史は,儒者の余技という形で出発した。すなわち近世最初の儒者である林羅山,松永尺五(せきご),堀杏庵,那波活所(なわかつしよ)などが,同時に近世最初の漢詩人でもあった。したがってその文学活動は,彼らの奉じた朱子学の文学観の影響を強く受け,知識人の重んずべきは儒学であって,詩文は第二義の営みにすぎないという消極的な位置づけと,詩文は道徳に資するものでなければならないという道学主義との拘束のもとにあった。…

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