坊門院(読み)ぼうもんいん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「坊門院」の意味・わかりやすい解説

坊門院
ぼうもんいん

[生]治承1(1177).11.6. 京都
[没]承元4(1210).4.12. 京都
高倉天皇皇女範子内親王。母は権中納言藤原成範の娘,小督局 (こごうのつぼね) 。前権中納言藤原光隆に養われ,治承2 (1178) 年内親王宣下があり賀茂斎院となったが,養和1 (81) 年高倉天皇の死によって斎院を退下,建久6 (95) 年准三宮,同9年土御門天皇即位により,天皇の准母として皇后と尊称された。建永1 (1206) 年院号宣下。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「坊門院」の解説

坊門院 ぼうもんいん

1177-1210 平安後期-鎌倉時代,高倉天皇の皇女。
治承(じしょう)元年11月6日生まれ。母は藤原成範(なりのり)の娘。治承2年内親王,賀茂斎院となる。5年父の死により斎院をしりぞき,建久9年土御門(つちみかど)天皇の即位にともない准母として皇后待遇となる。建永元年院号をあたえられた。承元(じょうげん)4年4月12日死去。34歳。名は範子。

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朝日日本歴史人物事典 「坊門院」の解説

坊門院

没年:承元4.4.12(1210.5.6)
生年:治承1.11(1177)
鎌倉時代前期の女院。名は範子。高倉天皇と藤原成範の娘小督との皇女。治承2(1178)年内親王宣下,賀茂斎院に卜定される。養和1(1181)年父院崩御により退下。建久9(1198)年土御門天皇即位によって,准母として皇后宮となる。建永1(1206)年院号宣下。

(櫻井陽子)

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