坂出(市)(読み)さかいで

日本大百科全書(ニッポニカ) 「坂出(市)」の意味・わかりやすい解説

坂出(市)
さかいで

香川県中央部、備讃(びさん)瀬戸に面した工業港湾都市。1942年(昭和17)坂出町と林田村が合併して市制施行。1951年加茂村、1953年与島(よしま)村、1954年府中村、1955年川津村、1956年松山、王越(おうごし)の2村を編入。地名は、宇多津(うたづ)からの小高い坂道を出た所の意。JR予讃線、国道11号、438号が通じる。瀬戸中央自動車道(瀬戸大橋の自動車専用道路)の坂出北および坂出インターチェンジがあり、市の南西部に高松自動車道と瀬戸中央自動車道が接続する坂出ジャンクションがある。東は高松市に接し、市域東部には広大な開析溶岩台地五色台(ごしきだい)(国分台(こくぶだい))があり、台地上には四国八十八か所の第81番札所の白峰(しろみね)寺や、保元(ほうげん)の乱で配流された崇徳(すとく)上皇の白峰御陵がある。麓(ふもと)には、本殿国宝の神谷(かんだに)神社がある。南部に位置する開析溶岩台地の城山(きやま)(462メートル)は、古代朝鮮式山城跡で、国の史跡に指定されている。また、山頂平坦(へいたん)部を利用して香川県最初のゴルフ場が広がる。西部には丸亀(まるがめ)市との境界をなす飯野山(いいのやま)(422メートル)がある。これも開析溶岩台地の一種で、富士山型のビュート(孤立丘)である。臨海部の聖通寺山(しょうつうじやま)(117メートル)は番の州(ばんのす)と瀬戸大橋ルートを展望する絶好の地。この山も溶岩台地であったものが、削られて花崗(かこう)岩丘陵となったものである。市街部のほとんどは塩田跡で、地先に塩田を開いては古い塩田上に町をつくってきた。そのため地下水の水質が悪く、第二次世界大戦後もしばらく水売り業があった。東半部は綾(あや)川のデルタで、中流域の府中町には讃岐(さぬき)国府跡があり、条里の遺構もよく残っている。1602年(慶長7)播州(兵庫県)赤穂(あこう)の住民が移住して塩田を開いてから塩田の町として発達、1824年(文政7)から1829年にかけて高松藩の測量方久米栄左衛門(くめえいざえもん)による東・西大浜塩田の開発が行われた。以後1971年度イオン交換式製塩法による全国の塩田の廃止まで全国一の塩の町であった。製塩に関する用具・古文書を展示する塩業資料館がある。塩田跡地は住宅化が進んでいる。林田では、キントキニンジンやサツマイモを特産する。坂出港は昭和に入って改修が繰り返され、工場も集中、県第一の工業・港湾都市に成長した。さらに1964年から遠浅の番の州の埋立てが始まり、造船、石油、コークス、アルミニウム加工の大企業が進出、コンビナートが形成された。また、1988年には道路・鉄道併用の瀬戸大橋が開通した。JR線の高架化が遅れ、いわゆる「あかずの踏切」が増え市街の分断が問題となったが、1997年(平成9)高架が完成し、坂出駅一帯の再開発が進行、2005年(平成17)には坂出駅周辺整備主要プロジェクトが完了した。橋脚の島は生活が一変、自動車の出入りも可能となり、通勤、通学も便利になった。一方、鉄道騒音などの環境問題も発生した。五色台の大部分、城山、飯野山、内海の与島などは瀬戸内海国立公園の一部。面積は92.49平方キロメートル、人口5万0624(2020)。

[坂口良昭]

『『坂出市史』(1952・坂出市)』『『坂出市史 年表/資料』(1988・坂出市)』『奥田憲昭著『現代地方都市論――海橋のまち坂出市と住民生活』(1989・恒星社厚生閣)』


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