日本大百科全書(ニッポニカ) 「地震」の意味・わかりやすい解説
地震
じしん
earthquake
地震という現象について多くの人が抱いているのは、単に自然現象としての関心だけではないであろう。地震はときとしてわれわれの生命や財産を根こそぎ奪うような大災害を引き起こすことがあるからである。その災害の程度は社会のあり方と密接な関係がある。過密化した人口を抱え、その機能が高度化・複雑化している現代の大都市が、ひとたび大地震にみまわれれば、予想もつかないほどの大災害が引き起こされるであろう。地震災害軽減のためには、地震学の研究や行政機関等による震災対策が強力に推し進められなければならないのは当然であるが、われわれひとりひとりが地震現象について正しい知識をもち、地震に対して的確な行動をとる必要がある。「地震がおきた」とか「地震を感じた」とか、地震ということばは、日常、非常によく使われるが、いったいどのように定義されたことばなのだろうか。「地震」ということばは伝統的には「地球内部でさまざまな形でエネルギーが蓄積され、それがある種の破壊により局所的にしかも急激に解放されて弾性波動を発生する現象」をさすと定義される。発生した弾性波は地球内部を伝わり、われわれ人類の生活基盤である地球表面に振動を引き起こす。この弾性波を「地震波」といい、地震波が伝わることによっておこされる振動を「地震動」という。したがって、正確には「地震を感じた」という言い方は正しくなく、「地震動を感じた」というべきである。このように「地震」とその結果としての「地震動」は区別されるべきものではあるが、広義には「地震」の定義のなかに「地震動」を含めることもある。最近では、地震波をほとんど発生しないようなゆっくりとエネルギーが解放される地球内部の破壊現象も観測されるようになり、「地震」という概念にこのような現象も含められるようになってきた。
[浅田 敏・山下輝夫 2017年6月20日]
地震のメカニズム
震源・震源域・震央
地震の定義のところで述べた「蓄積されたエネルギー」の解放は、ある種の破壊により生じると考えられるが、この破壊のおきた場所を震源域という。震源域の広がりは、普通、規模の大きな地震ほど大きく、ときには数百キロメートルにも達することがある。震源域での破壊は瞬間的に全体が破壊するのではなく、一点から始まり有限な速度で広がっていくのだということが震源過程の解析によりわかっている。P波(primary wave:第一波。縦波。伝播(でんぱ)方向と平行な方向に振動)やS波(secondary wave:第二波。横波。伝播方向と垂直な方向に振動)などの実体波の初動の到達時刻の観測から、その地震波の発生した場所を求めると、例外なくほぼ一点に決まる。これは地震に伴う破壊が開始した点と考えられる。この点を震源という。震源の真上の地表の点を震央といい、震央付近の地域を震源地ということもある。
[浅田 敏・山下輝夫 2017年6月20日]
地震の原因
地震ということばは前述のように明確に定義されたが、地震を引き起こすエネルギーとはどのようなもので、どのように蓄積されるのだろうか。またそのエネルギーはどのような破壊により解放されるのであろうか。地震の原因を明らかにするには、これらの問題に解答しなければならない。
蓄積されたエネルギーがどのような破壊により解放されるのかという問題について、観測に基づいた自然科学的考察がなされるようになったのは、近代的地震観測網が整備され始めた20世紀に入ってからである。観測されたP波の初動の振動方向の分布を調べてみると、震央の周りに非常に規則的に分布していることが1920年(大正9)ごろ日本で明らかにされた。このような観測がなされた背景には、当時の日本が世界でもっとも密な地震観測網をもっていたという事実がある。この観測がきっかけとなって、地震の発生機構についての理論的および計測学的研究が華々しい展開をみせた。この観測事実を説明する地震発生機構として、日本では断層説(小藤文次郎(ことうぶんじろう)、1892年)や岩漿貫入説(がんしょうかんにゅうせつ)(石本巳四雄(みしお)、1929年)が考えられた。前者では断層を境として両側の岩盤が急激にずれることにより地震がおこると考え、後者では高圧状態にある岩漿(マグマ)が抵抗のもっとも小さい部分に突入することにより地震がおこると考えるものである。
諸外国では、当時の日本のように密な地震観測網はなかったが、アメリカでは1906年のサンフランシスコ地震のときに生じた三角点の水平移動を説明するものとして弾性反発説が考えられた。これは断層説の一種であり、次のようなものである。地面に既存の断層があるとする。この断層の両側に遠方から剪断(せんだん)的な力が徐々に加わっていき、断層の周りがひずんでいく。そのひずみがある大きさに達すると断層がすべり、いままで大きく変形していた地殻は跳ね返ってひずみの小さい状態に戻ると考える( )。
第二次世界大戦後の地震発生機構についての理論的研究の進歩や精度の高い地震観測により、地震の一般的な発生機構として断層説が受け入れられるようになり、浅い地震については弾性反発説が大筋で正しいということがわかってきた。
高圧下では岩石の破壊強度は高くなり、破壊しにくくなることが岩石実験から知られている。より高圧になったり、または高温になったりすると、岩石は流れる性質を示すようになり、普通の破壊はおこりにくくなることも知られている。それでは、どのような物理的機構で、地下の高温高圧状態にあると考えられる場所で地震のような破壊がおこるのであろうか。これには水などの流体が重要な役割を果たすのではないかという考え方がある。1962年アメリカのコロラド州デンバーの郊外で軍需工場(ロッキー・マウンテン・アーセナル)の廃液を高圧で大量に地下に注入したところ、それまでまったく地震活動のなかった所に群発性の地震が生じた。これは地下の岩石の微小な割れ目に高圧の流体が入り込み、その割れ目を押し広げることにより岩石が破壊されやすくなるためだと説明されている。地殻やマントル内の岩石もなんらかの形で流体を含んでおり、地下深部での地震発生に流体が重要な役割を果たしている可能性がある。
地震は断層を境とする両側の岩盤が急激にずれることにより生じるということがわかったわけだが、では地震を引き起こすエネルギーとはどのようなものであろうか。弾性反発説によれば、エネルギーは遠方から加わる剪断的な力によって蓄えられるわけだが、なぜそのような力が生じるのかということまでは説明されなかった。しかし1960年代後半にほぼ確立したプレートテクトニクス理論により、その力まである程度わかるようになってきた。海溝沿いにおこる浅い大地震のようにプレートとプレートの境でおこる地震の場合、プレートとプレートのぶつかり合う力が、前述の剪断的な力となると考えられている。日本の内陸でおこる浅い地震のようにプレート内部でおこる地震の場合はその二次的、三次的な効果によると考えられている。地下100キロメートルから数百キロメートルの所でおこる地震は、潜り込むプレート内部でおきていると考えられているが、そのような地震を引き起こす力は、プレートの潜り込む運動そのものに起源があるようである。
[浅田 敏・山下輝夫 2017年6月20日]
発震機構と断層
発震機構とは本来、地震の発生機構のことを意味しているはずであるが、今日では地震をおこした断層(震源断層)の形態を表すことばとして、より狭い意味に用いられる。ここでいう断層の形態とは、断層の走向、地表面に対する断層面の傾きや岩盤の食い違う方向などを意味する。断層の走向とは、断層面またはその延長と地表面との交線の向いている方向のことである。この狭い意味での発震機構は、P波の初動の振動方向の分布などを調べることにより推定できる。1969年(昭和44)の岐阜県中部地震の際、気象庁の観測網で観測されたP波初動の振動方向の分布を -1に示す。これは震源がきわめて浅い地震の場合の典型的な例である。引き(初動の振動方向が震源のほうを向いている)と押し(その反対方向を向いている)の領域が2本の節線A―B、およびC―Dで分けられているのがはっきりわかる。断層理論によれば、この二つの節線のどちらか一方が震源断層の走向と一致する。しかし、初動分布だけからでは、そのどちらが震源断層の走向なのかを選ぶことはできない。その決定には、余震分布( -2)がよく用いられる。余震は普通、本震で動いた断層面上で発生すると考えられているからである。岐阜県中部地震の場合の気象庁で決められた余震の震央分布をみると、細長く狭い地域に集中的に発生しており、その方向は初動分布の節線方向A―B(東海地方から能登半島に向かう線)にほぼ一致していることがわかる。したがって震源断層の走向はA―Bの方向であるということがわかる。
断層の形態は、岩盤の食い違う方向の相違により縦ずれ型と横ずれ型に分けられる。縦ずれ断層はさらに正断層と逆断層に分けられる。正断層の場合は、断層の上盤側が下方にすべり、逆断層の場合は下盤側が下方にすべる。横ずれ断層は左ずれ断層と右ずれ断層に分けられる。左ずれ断層とは向こう側の岩盤が手前の岩盤に対して左のほうへ動くものである。右ずれ断層はその逆である。一般の震源断層は縦ずれ成分と横ずれ成分の両方をもっているが、その大きなほうの成分をとってその断層の形態を表すことが多い。断層が縦ずれ型か横ずれ型かは、断層理論に基づきP波初動分布を調べることにより推定できる。岐阜県中部地震は左横ずれ断層の例である。
断層の形態には地域性があるということが知られている。たとえば太平洋岸地域の海溝沿いにおこる浅い大地震の場合、低角で内陸のほうに傾く逆断層により生じる。これらの地震は、日本付近でマントル内に沈み込んでいる海洋性プレート(太平洋プレートとフィリピン海プレート)と、それに衝突している大陸性プレートである北アメリカ(オホーツク)プレートとユーラシアプレートの境界でおきていると考えられている。
震源が浅く、規模の大きな地震の場合、地震をおこした断層の一部が地表に現れることがあるが、これを地表地震断層とよぶ(混乱を与えることばだが、これを地震断層とよぶこともある)。日本では濃尾(のうび)地震(1891=明治24)の際の根尾谷(ねおだに)断層、北丹後(きたたんご)地震(1927=昭和2)の際の郷村(ごうむら)断層、北伊豆地震(1930=昭和5)の際の丹那(たんな)断層、鳥取地震(1943=昭和18)の際の鹿野(しかの)断層、兵庫県南部地震(1995=平成7)の際の野島断層などが有名である。地震の際地表に現れた断層は、多くの場合、活断層とよばれる既存の断層に沿って生じる。活断層とは、最近の地質時代(第四紀または第四紀後期をさすことが多い)に繰り返し活動を行った形跡が認められ今後も活動しそうな断層のことである。したがって、震源の浅い地震の多くは活断層の運動によって生じると考えることができる。活断層の動き方には大別すると二つのタイプがある。第一のタイプは、断層の両側の岩盤がずるずると非常にゆっくりした食い違いをおこし、地震波をほとんど発生しないようなものである。これを「クリープ性断層運動」とよぶことがあり、アメリカ合衆国カリフォルニア州のサンアンドレアス断層のある部分はこのような動きをすることが知られている。第二のタイプは、普段は静止しているが、あるとき急激に岩盤の食い違いが生じ、強い地震波を発生するようなものである。これはごく普通の意味の地震を発生する断層運動である。
[浅田 敏・山下輝夫 2017年6月20日]
震源の決定
震源の位置や震源で破壊が開始した時刻(震源時という)の正確な決定は地震学においてはきわめて重要な問題であり、地震学の種々の研究の基礎となっている。また、地震発生直後の震源位置の迅速な決定は、それが大まかなものであっても防災上重要である。たとえば、発生した地震の震源が海底下の浅い場所にあり、しかも規模が大きいものなら、津波発生のおそれが十分にある。そのような場合、震源の位置や地震の規模を迅速に求めることができれば、有効な津波警報・注意報を速やかに発表することができる。
迅速に震源位置を決定しようとする場合、もっとも簡単な方法は、大森公式とよばれるものを使う方法である。これは、明治から大正にかけて活躍した地震学者大森房吉(ふさきち)が発見したものである。地震波を観測していると、最初にP波が、次にS波が到着するのに気づくが、両者の到達時間の差をS―P時間(初期微動継続時間ともいう)という。大森公式とは、S―P時間を秒単位で測り、それに7~8を掛けると震源までの距離(キロメートル単位)が求められるというものである。したがって、3か所以上の観測点でS―P時間を観測していれば、震源のだいたいの位置は求められる。しかし大森公式の係数7~8は、どこでおきた地震にも適用できるというものではない。場所により、これは3とか10 になることもある。この係数は、実は、地震波が通ってきた場所の構造に関係した量であるということが現在ではわかっている。したがって当然、震源の位置や観測点の位置により変化しうる量なのである。
より正確でかつ客観的に震源位置や震源時を決定するには、まず、できるだけ多くの観測点でP波やS波の到着時刻を観測記録から読み取る。次に震源の位置や震源時をある値に仮定して理論的な計算を行い、各観測点でのP波やS波の到着時刻を求める。震源位置や震源時をどのように仮定したら、できるだけ多くの観測点で、しかももっともよく理論値が観測値と適合するかをコンピュータを用いて探し求める。適合度のもっともよい仮定値を真の値と考えるわけである。
前にも述べたが、このようにして求められる震源は、地震に伴う破壊が開始した点にすぎないということに注意しなければならない。地震に伴いエネルギーが解放されたのは震源域全体にわたってであり、地震の発生した場所を考える場合、震源という一点よりむしろ震源域全体を考えるべきである。震源域は震源となる断層の生じた場所と一致する。
[浅田 敏・山下輝夫 2017年6月20日]
地震の大きさと地震動の強さ
地震を分類するときには、地震そのものの大きさをなんらかの尺度を用いて定量的に表す必要がある。震源域から地震波として放射されたエネルギーの総量は、その尺度として用いるのにたいへん適切な量であろう。われわれが地震を認識するのは地震波により引き起こされた地震動を通してであるから、この考え方はわれわれの生活実感にもかなっている。しかし、現実にはエネルギーそのものを測るのはたいへんむずかしい。そこで、エネルギーに関係した量ではあるが、もっと測定しやすいものを地震の大きさの尺度として用いることが多い。
地震の大きさを定量的に考えようとするときにはマグニチュードmagnitudeという量が用いられる。後述するように、マグニチュードは地震波として放射されたエネルギーに比例することがわかっている。マグニチュードは日本語では規模ともいう。マグニチュードにはいくつかの異なる定義があるが、通常使われているマグニチュードは、ある一定の震源距離に置かれている、標準的な地震計に記録された地動の最大振幅に比例する量、として定義されている。なお震源距離とは、観測点と震源の間の直線距離のことである。実際には標準的な地震計が一定の決められた震源距離の所に置かれていることはめったにない。しかし、震源距離とともに地動の最大振幅がどのように減少していくかということは経験的なデータに基づいてわかっているので、地震計がどのような場所に置かれていてもマグニチュードは算出されるわけである。各観測点で算出されたマグニチュードを平均したものをその地震のマグニチュードとする。マグニチュードは基本的にはこのようにして求められるわけであるが、用いられる地震波の違いにより異なるマグニチュードが定義される。よく使われるものに周期20秒前後の表面波を用いる表面波マグニチュード(MS)や周期1秒前後のP波を用いる実体波マグニチュード(mB)などがある。気象庁で決められているマグニチュード(MJ)は表面波を用いているわけではないが、浅い地震については表面波マグニチュードに近いとされている。なお、地震の大きさが大きくなるにつれて、周期の長い地震波がより強く放射されるため、大きな地震ほどより長い周期の地震波に着目してマグニチュードを決める必要がある。地震モーメントという量は、断層の広がりよりはるかに長い波長でみた場合の地震の大きさを表す量であるため、大地震の大きさを表現するのに適切な量である。そこで、その対数に比例するものとしてモーメントマグニチュード(MW)が定義され、大地震の大きさを表すために広く使われている。以下では、Mで表すマグニチュードは、断らない限り気象庁マグニチュードをさすものとする。
マグニチュードはあまり精度のよい物理量とはいえないが、地震現象の解釈・比較や防災を考える際にたいへん重要な役割を果たす。たとえば、マグニチュードはほかのいくつかの量と密接な関係があることがわかっている。地震波エネルギー(ES、単位ジュールJ)と表面波マグニチュード MSの間には
log10ES=4.8+1.5MS (1)
の関係があることが知られている。ここから、マグニチュードが2増えると、地震波エネルギーは1000倍になることがわかる。また、ある一定地域における一定期間内の地震の発生頻度とマグニチュードMの間には
log10N=a-bM (2)
で表される関係がある。この式は発見した二人の名前をとってグーテンベルク‐リヒターの式とよばれる。NはマグニチュードがM以上である地震の総数である。aはその地域において、その期間に発生する地震の頻度を表す量である。係数bは多くの場合0.7~1.0程度であるが、地域により異なる値をとるということが知られている。この式からわかることは規模の小さい地震ほど発生頻度は大きくなるということである。
マグニチュードは地震そのものの大きさを表すのに対し、震度は各地点での地震動の強さを表す。したがって、同一地震でも震度は土地土地で異なるものである。気象庁では、かつて震度は人体感覚の程度、家具の揺れ方や被害の程度などから推定していたが、1996年(平成8)からは計測震度計により自動的に揺れの強さを計測している。計測震度は、地震動の加速度の大きさ、周期や震動の継続時間から決められる。計測震度の大きさにより震度の尺度が決められており、震度0から震度7までの10階級からなる。これを震度階級という( 、 )。
一つの地震について各地の震度を地図上に記入し等震度の所を結ぶ線を引くと、一般にそれは震央を囲む同心円のようになり、震央に近いほど震度は大きくなる。しかし、震央から比較的遠いにもかかわらず広い範囲で異常に大きな震度が観測されることがある。この地域を異常震域という。異常震域の発生は地下の構造の大規模な不均質性つまり海洋性プレートの潜り込みと関係がある。上に述べた震度は、地表付近の比較的周期の短い揺れを対象とした指標であるため、近年増えてきた高層ビルの高層階のゆっくりとした揺れを表すのには適切とはいえない。そのため、気象庁では、おおむね14、15階建て以上の高層ビルの揺れの大きさの目安とするため、2013年(平成25)に「長周期地震動階級」を導入し、「長周期地震動に関する観測情報(試行)」として運用を始めた。
[浅田 敏・山下輝夫 2017年6月20日]
地震活動の時間的推移
地震は一定の場所でしかも一定の期間内に群をなして発生する傾向がある。その群のなかで地震活動の時間的推移をみていると、飛び抜けて規模の大きな地震があることが多い。これを本震または主震とよぶ。本震の前におこったものを前震、あとにおこったものを余震という。飛び抜けて規模の大きなものがその群のなかにないとき、この一群の地震を群発地震とよぶ。
明確な前震を伴った地震の観測例は少ないため、前震の性質については未解明な点が多い。現在の地震学の知識では、地震活動が終息に向かって初めて、それまでに発生した地震が前震なのか本震なのかということの判断が可能となる。前震がはっきりと観測された数少ない例として、2011年東北地方太平洋沖地震や2016年熊本地震をあげることができるが、前者では本震の約51時間前、後者では本震の約28時間前に最大規模の前震が起きている。
前震とは対照的に、すべての浅い大地震は余震を伴う。余震は観測例が多いだけに、前震に比べてその統計的性質は比較的よくわかっている。浅い大地震が発生すると、その直後から本震の震源付近に多数の余震が発生する。余震の発生する領域を余震域という。本震のマグニチュードが大きいほど余震数、余震活動の継続時間や余震域は大きくなる傾向にある。余震域の面積S(単位、平方キロメートル)は、本震のマグニチュードMと次のような関係にあることが知られている。
log10S=1.02M-4.0 (3)
精度のよい観測によれば、余震の震源は、ほかの方法で推定された震源断層と思われる場所にきれいに平面状に分布することが多い。したがって余震域は震源断層のある場所とほぼ一致していると考えられている。余震の発生数は普通、日がたつにつれてかなり規則的に減っていく。本震発生後t日たったとき、ある一定の決められた時間内に発生するある大きさ以上の余震数n(t)は
n(t)=A/(t+c)p (4)
という式でよく表される。この式は、大森房吉が発見した当初の式を改良(宇津徳治(1928―2004)による改良)したという意味で、改良大森公式とよばれている。A、c、pは正の定数である。pは余震数の減り方に関係するパラメーターで、普通1.0~1.5くらいの値をとる。cは大きくても1日、普通は0.1日程度以下の量である。Aはどれくらいの大きさ以上の余震を数えるかによる。
浅い大地震の後には、普通の地震計では検知できないようなゆっくりとしたすべりが震源域の外に向かって広がっていくことも知られている。これは、余効すべり(アフタースリップ)とよばれている。
群発地震はある特定の地域でおこりやすい。とくに火山地域、地熱地帯や海嶺(かいれい)で多く発生する。そのため、水などの流体が群発地震の発生に関与している可能性が指摘されている。たとえば、1965年8月から1967年ころにかけて起きた長野県の松代(まつしろ)群発地震では、活動期間中107m3にも及ぶ湧水(ゆうすい)があったと考えられており、水が地震発生に関係した可能性が示唆される。
[浅田 敏・山下輝夫 2017年6月20日]
地震の地理的分布
地震は震源の深さにより普通、次のように分類される。60~70キロメートルより浅い所でおこるものを浅発地震、それよりも深く300キロメートル以浅のものをやや深発地震、300キロメートルより深い所でおこるものを深発地震とよぶ。ただし 700キロメートルより深い所でおこる地震は知られていない。この3種類の地震のなかでは、浅発地震の活動度が圧倒的に高い。なお、いくつかの沈み込み帯では、これまでに述べた通常の地震がおきる場所のすぐ上やすぐ下のあたりで、通常の地震と性格が大きく異なる、地震波をほとんど発生しないゆっくり地震(スロー地震ともよばれる)といわれる破壊現象がおきていることがわかってきた。
地震は世界中のどこにでも均等に発生しているわけではない。地震活動が盛んな所は大まかにいって次の三つの地域に分けられる。第一は太平洋の周りの活動帯、第二は東南アジアからインド北部、中近東を経て地中海へと続く活動帯である。前者は環太平洋地震帯、後者は地中海ヒマラヤ地震帯と以前からよばれていたものである。第三は海嶺(かいれい)に沿う活動帯である。アイスランドを横切り大西洋の真ん中を南下し東西に分岐する活動帯、南米大陸の太平洋側に弓状に張り出した活動帯、オーストラリアの南方を通りインド洋の南方を経て紅海へ伸びる活動帯、それからマダガスカル島沖で分岐して大西洋へ伸びる活動帯は、いずれも海嶺に沿う地震活動帯である。海嶺に沿う地震帯がはっきりわかるようになったのは、第一、第二の地震帯に比べるとずっとあとの1960年代になってからである。海嶺に沿う地震の震源は非常に浅いのが特徴的で、深発地震は第一、第二の地震帯でしかおきない( )。
プレートテクトニクスにおいては、すべての大規模な地学的運動は地球表面を覆っているいくつかのプレートの相互作用により生じると考える。プレートとは地殻を含めたマントル最上部(この部分はリソスフェアともよばれる)をさし、アセノスフェアとよばれる比較的柔らかな層の上にのって剛体的に運動していると考えられている。プレートは、マントル物質が海嶺部でわき上がり冷却することによって生じる。新しく生まれたプレートは海嶺から左右に広がっていく。海嶺付近の地震は、マントル物質のわき上がりや、新しく生まれたプレートが広がっていくことに伴って生じると解釈される。海嶺で生まれたプレートは密度の小さいほかのプレートに衝突すると、そのプレートの下に沈み込みをおこす。環太平洋地震帯や地中海ヒマラヤ地震帯でおこる地震は、プレートの沈み込みや衝突により生じていると考えられている。環太平洋地震帯に沿った地域でやや深発地震や深発地震の震源分布を調べてみると、一つの特徴的な事実に気がつく。すなわち、海側から陸側に向かって斜めに沈み込む面に沿って地震がおきている。これを深発地震面という。深発地震面に沿って同じ深さの周囲の部分よりも固い層があることが、地震学的観測からわかっている。この傾斜層は大陸性プレートの下に沈み込んでいる海洋性プレートそのものである。海洋性プレートが大陸性プレートの下に沈み込んだ部分はスラブとよばれる。日本の近くでは、日本海溝、伊豆・小笠原(おがさわら)海溝付近で太平洋プレートが、日本列島の東北部をその上にのせている北アメリカプレートの下に沈み込んでいる。南海トラフや南西諸島海溝では、フィリピン海プレートが沈み込んでいる。ただし、フィリピン海プレートの沈み込みは、太平洋プレートほど深くない。太平洋プレートやフィリピン海プレートに押されて北アメリカプレートやユーラシアプレートは地下深部に引きずり込まれようとするが、ひずみがある限界を超えるとプレート間に大規模なずれが生じ、大きな地震(プレート間地震)が発生する。そのとき北アメリカプレートとユーラシアプレートは引きずり込まれる前の形に戻る。日本付近の歴史上の大地震のほとんどは海溝やトラフに沿っておきているが、その発生機構はこのようなものと思われる( )。
細かく地震活動を調べてみると、周りのほかの地域に比べて地震活動度が異常に低い地域がみいだされることがある。これを地震活動の空白域という。
海溝沿いにおこるマグニチュードが8程度かそれ以上の巨大地震は、ある適当な長い期間をとって考えると、その震源域がお互いにほとんど重ならず、巨大地震のおきていない場所(巨大地震の空白域という)を埋め尽くすようにして発生していく傾向がある。このような考えから、きたるべき大地震の発生する場所を予測する試みがなされ、実際そのような場所で大地震が発生した例がいくつかある。1973年(昭和48)6月17日の根室半島沖地震(マグニチュード7.4)はその一例である(
)。東海沖から駿河(するが)湾内にかけての場所も巨大地震の空白域とみなされる所である。大きな地震の発生前にその震源域内での小さな地震の活動が異常に低下することがある。前に述べた巨大地震の空白域とこのような小地震活動の空白域とをはっきり区別するため、前者を第1種地震空白域、後者を第2種地震空白域とよぶことがある。
[浅田 敏・山下輝夫 2017年6月20日]
地震の予知と震災への心構え
地震の予知
地震予知は地震学に課せられた大きな課題の一つである。しかし、地震の大きさ、地震の発生する場所、地震の発生する時期という三つの要素すべてを精度よく地震発生前に決定論的に示すという意味での地震予知は、少なくとも現時点では甚だ困難だといわざるをえない。このような状況のなか、国内の主要な活断層で発生する地震や海溝型地震を対象に、数十年以上の一定期間内に発生しうる地震の規模や地震が発生する確率を予測する努力が、地震調査研究推進本部において行われている。このような長期予測(長期評価ともよばれる)は、地震発生直前の対応には使えないが、長期的な防災計画の立案には有用であろう。なお、長期予測には、地震を記載した古文書の解読、活断層の野外調査、津波堆積物(たいせきぶつ)調査、過去の地震記録や巨大地震の空白域の調査などが有用である。しかし、大きな地震ほどその発生頻度が少ないだけに、大地震についての長期予測の精度向上や予測結果の検証は容易ではない。たとえば、マグニチュードが9以上の地震は、計器による地震観測が始まって、国内では、ただ一度経験しただけである(2011年東北地方太平洋沖地震)。
上に述べた三要素を決定論的に示すという意味での地震予知の困難さは次の点にある。第一には、異常の検出のためには日本全国を海域も含めきわめて稠密(ちゅうみつ)な観測網で覆い、常時監視を行う必要があるが、これは実際上不可能である。第二には、異常と思われる現象がすべて地震の発生に結び付くわけではなく、これまでの経験によると地震により前兆現象の生じ方が大きく異なるようである。これは地震の発生の仕方はたいへん複雑で、しかも各種前兆現象を統一的に説明するモデルが現在ないということにも関係している。第二の点を克服するためには、多種類の異なる観測を実施するとともに地震発生過程そのものの理解を深める必要がある。しかし、地震発生過程についての理解はいまだ不十分といわざるをえない。最近では個々の地震が、「どのようにおきたか」ということについては、詳細なデータ解析により比較的よくわかるようになってきたが、「なぜそのようにおきたか」ということについての理解はいまだ道なかばである。さらに、複雑な地震破壊現象全体にわたっての統一的理解については、さらに前途遼遠(りょうえん)である。
日本では、1968年(昭和43)5月16日の十勝沖(とかちおき)地震(M7.9)をきっかけにして、地震予知の実用化を目ざして地震予知連絡会(以下、予知連と略称する)が設けられた。予知連の役割は地震予知の情報交換とその総合判断であり、観測により異常があると判断された場合には、地震予知に向けて、観測の強化や集中が行われた。
1995年(平成7)1月の兵庫県南部地震(M7.3)により阪神・淡路地域は大きな震災を被り、これをきっかけとして、行政施策に直結すべき地震調査研究の責任体制を明らかにし、これを政府として一元的に推進するため、地震防災対策特別措置法に基づき、政府の機関として地震調査研究推進本部が設置された。同本部は、本部長を文部科学大臣とし、地震防災対策の強化、とくに地震被害を軽減するための調査研究の推進などを基本的目的とし、地震に関する総合的な施策の立案、地震活動に関する総合的評価やそれに基づく広報などに取り組んでいる。予知連は、地震調査研究推進本部の発足に伴い、地震予知に関する観測研究を実施している機関や大学が情報を交換し、これらの情報に基づいて学術的判断を行うという性格をより強く反映した組織となった。
四国沖から東海沖の南海トラフに沿って、マグニチュードが8くらいの巨大地震が 100年くらいの周期で比較的規則的におきている。最近500年以内におきたおもなものには、慶長(けいちょう)の地震(1605=慶長9、M7.9)、宝永(ほうえい)の地震(1707=宝永4、M8.6)、安政(あんせい)の地震(1854=安政1、M8.4)、昭和の東南海地震(1944=昭和19、M7.9)、および南海地震(1946=昭和21、M8.0)がある(
)。南海、東南海および東海地域の地震は、連動して発生することもあり、そのような場合は、日本社会に甚大な被害を与える可能性がある。なお、ここでいう南海、東南海および東海とは、それぞれ、四国沖から紀伊半島沖の南海トラフ、紀伊半島沖以東の南海トラフおよび駿河トラフ沿いをさす。慶長と宝永の地震の際には、東海から南海にかけてほぼ同時に地震が発生したと考えられており、安政の地震の際には東海・東南海地域の地震の発生後約32時間して、南海地域の地震が発生した。遠くない将来におきうるこれらの地震発生の予測やこの地域での地震の発生過程の理解のために、多種多様な観測が実施されている。なお、東海地域でおきると想定されている大地震については、その予知のための体制が整備されており、前兆の把握のために気象庁では常時監視を行っている。とくに、前兆すべり(プレスリップともいう)の検知が、予知の鍵と考えられている。この地域で異常と思われる現象がとらえられた場合には、それが大規模な地震に結び付く前兆現象と関連するかどうかを緊急に判断するため、気象庁に設置された地震防災対策強化地域判定会を開催し、データの検討を行うことにしている。[山下輝夫 2017年6月20日]
過去のおもな地震
大地震は昔から繰り返し発生し、そのたびに大きな災害をもたらしてきた。そしていまだ同じ種類の災害が繰り返されているが、同時に社会構造の変化とともに新しい形の災害も加わってきている。過去に発生した大地震の性質や被害のようすを知っていれば、われわれひとりひとりが地震対策をたてるうえでの参考になろう。以下に、日本付近の地震を中心とし、過去の社会的影響の大きかった大地震の性質や被害のようすを簡単に述べる。20世紀に入ってからは、大地震が発生するたびに詳細な自然科学的調査がなされ、地震学の進歩に大きな寄与をしたことも事実であり、各地震の地震学の進歩に果たした役割も簡単に述べる。1923年(大正12)以降に日本で起きた地震については、Mは気象庁マグニチュードを表す。また、それ以前の古い地震の震央や規模は震度分布から推定したものを用いる。
(1)元禄地震(げんろくじしん) 1703年12月31日(元禄16年11月23日)。震央北緯34.7度、東経139.8度。M7.9~8.2。1923年の関東地震とほぼ同じ所でおきたと考えられ、被害分布などが似ている。小田原(おだわら)方面の震害が甚大であった。しかし震源域は関東地震のものより広かったようである。伊豆や房総に大きな津波被害があった。
(2)宝永地震(ほうえいじしん) 1707年10月28日(宝永4年10月4日)。震央北緯33.2度、東経135.9度。M8.6。日本史上最大の地震の一つといえる。非常に広い範囲で被害を受けた。家屋倒壊地域は現在の静岡県から東海道、伊勢湾(いせわん)地域、紀伊半島、中国、そして一部は九州にも及ぶ。津波は伊豆半島から九州に至る太平洋沿岸や大阪湾などを襲い、高知県の被害が甚大であった。この年の12月26日(宝永4年11月23日)に富士山が大爆発をおこし、宝永火口ができた。南海トラフに沿って生じた断層運動による地震と思われる。
(3)八重山地震・津波(やえやまじしんつなみ) 1771年4月24日(明和8年3月10日)。震央北緯24.0度、東経124.3度。M7.4。地震動による被害はなかったようである。震源は石垣島の南南東約30キロメートルの海底下にあった。津波被害は石垣島で最大で、島内の最大波高は一説によれば85メートルにも達したという。この津波により、当時の八重山列島の総人口約2万9000人の4割余りが死亡したといわれている。
(4)善光寺地震 1847年5月8日(弘化4年3月24日)。震央北緯36.7度、東経138.2度。M7.4。長野盆地を襲った地震。善光寺は御開帳(ごかいちょう)の年にあたり全国からの参詣(さんけい)人でにぎわっていた。地震後、善光寺の町には火災も発生した。地震により多くの地すべりが生じ、虚空蔵(こくぞう)山で発生した地すべりは犀川(さいがわ)をせき止め、湖をつくり、いくつかの村を水没させた。地震後20日ほどして川をせき止めていた堤が崩れ、長野盆地に大洪水を引き起こした。
(5)濃尾地震(のうびじしん) 1891年(明治24)10月28日。震央北緯35.6度、東経136.6度。M8.0。日本の内陸でおきた地震では最大のもの。震災地全体で死者は7000余人、全壊家屋は14万余戸、名古屋付近にあった西洋式の新しいれんが造りの建物の多くが大きな被害を受け注目を浴びた。なかには一瞬のうちに崩壊したものもあった。地震の際、延長約80キロメートルにも及ぶ根尾谷断層帯が地表に現れた。この地震をきっかけとして震災予防の研究は大きく進展した。
(6)サンフランシスコ地震 1906年4月18日。震央北緯37.7度、西経122.5度。M8.3、MS7.8。サンフランシスコ市で大火災が発生した。サンアンドレアス断層に沿って両側の岩盤が食い違い、大きい所で6メートルにも上る横ずれが地表で観測された。この地震による三角点の移動を説明する地震のモデルとして弾性反発説が考えられた。
(7)関東地震 1923年9月1日。震央北緯35.3度、東経139.1度。M7.9。この地震は首都圏を襲い、死者・行方不明者10万5000人余、全壊家屋は11万戸弱という大災害となった。地震後各地で一斉に発生した火災は被害を増大させ、当時の東京市では総戸数の70%強が焼失したといわれる。この地震に伴う震災は、関東大震災とよばれる。この地震をきっかけとして地震研究所が生まれた。
(8)新潟地震 1964年(昭和39)6月16日。震央北緯38.4度、東経139.2度。M7.5。死者26人、全壊家屋1960戸。ほぼ半月も燃え続けた石油タンク火災など都市型災害が注目を集めた。また砂地盤で液状化現象がおき、各地でおきた地盤災害は、埋立地などの砂地盤上の市街建設に問題を投げかけた。
(9)海城地震 1975年2月4日。震央北緯40.7度、東経122.8度。M7.3、MS7.2。死者1300余人。中華人民共和国遼寧(りょうねい)省海城付近でおきた地震。前震の発生が直前予知の成功につながった。しかし、すべての大地震が前震を伴うわけではなく、前震を用いた予知手法が普遍的に使えるとは限らない。
(10)宮城県沖地震 1978年6月12日。震央北緯38.2度、東経142.2度。M7.4、MW7.6。死者28人、全壊家屋1183戸。死亡原因の過半数がブロック塀、石塀や門柱の倒壊による犠牲であり、これらの構造物の耐震性の問題が注目された。また、沖積層の軟弱地盤上や丘陵地に人工造成された地盤上の建築物の被害が多かった。
(11)日本海中部地震 1983年5月26日。震央北緯40.4度、東経139.1度。M7.7、MW7.7。死者104人、全壊家屋934戸。震源域が陸地に非常に近く、地震発生後まもなく津波が青森県、秋田県沿岸を襲った。津波の脅威を再認識させた地震であった。死者のほとんどが津波による犠牲者である。
(12)メキシコ地震 1985年9月19日。震央北緯18.2度、西経102.5度。MS8.1、MW8.0。震央距離にして約400キロメートルも離れたメキシコ市に被害が集中し、高層建物の倒壊により多くの死傷者が出た。メキシコ市が軟弱地盤上にあることや、建物の耐震設計強度の基準が低かったことなどが、このような大被害のおもな原因と考えられる。
(13)兵庫県南部地震 1995年(平成7)1月17日。震央北緯34.6度、東経135.0度。M7.3、MW6.9。死者6434人、行方不明者3人、全半壊家屋24万戸以上。これまで安全だといわれていた日本のビルや高速道路が倒壊し注目を集めた。また、発生が早朝であったこともあり、家屋の倒壊や火災により多くの死者が出た。この地震に伴う震災は、阪神・淡路大震災とよばれる。この震災をきっかけとして、地震防災対策特別措置法が制定され、地震調査研究推進本部が設置された。
(14)新潟県中越地震 2004年(平成16)10月23日。震央北緯37.3度、東経138.9度。M6.8、MW6.6。死者68人。全壊家屋3175戸。地震発生前のたび重なる台風などによる降雨のため、地盤がゆるんでいたことが災いして、大規模な土砂崩れ、地すべり、道路の損壊が各地でみられた。また、土砂崩れによる河道閉塞(へいそく)箇所が多数形成され、そこでは、せき止められた川がダム湖状となり、被害を大きくした。
(15)スマトラ島沖地震・津波 2004年12月26日。震央北緯3.3度、東経96.0度。インドネシアのスマトラ島西方沖の震源、および北方のニコバル諸島―アンダマン諸島に沿って約1200キロメートルに及ぶ震源域をもつ海溝型巨大地震と考えられる。M9.1、MW9.0。各国における死者・行方不明者はインドネシア(約17万)、スリランカ(約4万)、インド(約2万)、タイ(約1万)、ソマリア(約300)、マレーシア(約100)、モルジブ(約100)、日本人の犠牲者は40人。この地震とこれに伴い発生した大津波が、広くインド洋上と周辺の国々に甚大な被害をもたらした。
(16)パキスタン大地震 2005年10月8日。震央北緯34.5度、東経73.6度。震源の深さ約10キロメートル。M7.7、MW7.6。死者約8万人。家を失った被災者は250~330万人ともいわれる。パキスタン北部のカシミール地方を中心に、インド北部、アフガニスタンなどを含む広い地域で発生、甚大な被害をもたらした。被災地の多くが交通の便の悪い山岳地帯にあり、被災後の救援活動の遅れや二次災害などが問題となる。
(17)東北地方太平洋沖地震 2011年3月11日。震央北緯38.1度、東経142.9度。M9.0、MW9.1。死者1万9689人、行方不明者2563人、全半壊家屋40万4934戸(2019年3月1日時点。消防庁資料)。計器による地震観測が始まって以来、国内で初めてマグニチュード9を記録した地震。地震により大規模な津波が発生し、東北から関東にかけ東日本一帯に甚大な被害をもたらした。また、地震・津波に伴い福島第一原子力発電所事故が発生し、原子力政策や原子力発電所のあり方が問われることとなった。この地震に伴う震災は、東日本大震災とよばれる。
(18)熊本地震 2016年4月16日。震央北緯32.8度、東経130.8度。震源の深さ約12キロメートル。M7.3、MW7.0。地震による直接の死者50人、震災関連死者223人、全半壊家屋4万3386戸(2019年4月12日時点。消防庁資料)。4月14日には本震の震央近くで比較的大規模な前震(M6.5)があった。震源断層近傍の熊本県益城(ましき)町では、この前震および本震の際、2度にわたって震度7の強い揺れにおそわれた。九州を北東―南西方向に横断するように広域にわたって余震活動が起きた。
(19)北海道胆振東部地震(いぶりとうぶじしん) 2018年9月6日。震央北緯42.7度、東経142.0度。震源の深さ約37キロメートル。M6.7、MW6.6。死者43人、全半壊家屋2129戸(2019年4月1日時点。消防庁資料)。震央付近の厚真(あつま)町では震度7の強い揺れにおそわれた。北海道厚真町を中心として広範囲に斜面崩壊が起き、建物や農地、山林などに大きな被害があった。本震発生とともに、苫東(とまとう)厚真火力発電所をはじめとした道内のすべての電源が緊急停止し、北海道全域で停電が発生した。
[浅田 敏・山下輝夫 2019年9月17日]
震災と対策
地震災害は大まかにいって、地震そのものに起因する一次災害と、それから副次的に生ずる二次災害とに分けられる。一次災害とは、強い地震動による家屋などの地表や地中の構造物の破壊、地盤の崩壊、津波による家屋や舟などの流失、破壊などである。二次災害としては、火災や水道、電気、ガス、通信網の破壊、生活物資流通網の破壊による生活の混乱などがあげられよう。都市化した社会が地震災害を受けると二次災害の比重が大きくなる。現代社会の震災対策の特徴は、一次災害の軽減だけではなく、二次災害の抑止にも大きな対策を講じなければならないところにある。
まず一次災害とその対策について述べよう。地表構造物の地震動に対する強さは、構造物自身の振動に対する強さと、構造物の建っている地盤の性質による。木造家屋を耐震的にするには、屋根を軽くすること、柱と梁(はり)の結合をしっかりすること、筋かいやパネル張りにした壁(耐力壁)を入れることなどが必要である。鉄筋コンクリートや鉄骨造りのビルの耐震構造の理論は大きな進歩を遂げてきたが、設計や施工の不完全さにより被害を生じる例が多い。震源からやってきた地震波は地表付近で増幅させられる。この増幅作用は、一般に、地盤が柔らかいほど、また柔らかい地盤の厚さが厚いほど大きく、地表構造物の被害を大きくすることがある。原子力施設など重要な建物は、地盤調査を詳しく行い、設計や施工にも万全を期さなければならない。
強い地震動により地盤そのものが崩壊することもある。砂地盤は普段はたいへんしっかりした地盤だが、強い地震動を受けると液体のようにふるまうことがある。これを砂地盤の流動化(液状化)という。このようになると、砂地盤上のビルは地中に沈み込んだり傾いたりし、砂や水が各所で地表に噴き出す。対策としては、都市計画の際に地盤調査をよく行い、流動化の危険のある所は地盤改良を行い、ビルは硬い地盤まで深い基礎杭(ぐい)を打ったりする必要がある。地震の際、山崩れが発生し大被害を起こすことも非常に多い。丘陵地に造成された宅地では、裏込めや水抜きがないなどの欠陥擁壁の崩壊により造成地が崩れることが多い。
昔から大地震多発地帯の沿岸地域は大きな津波被害を受けてきた。現在では気象庁が津波警報・注意報を出すことになっており、これに基づき避難などの対策をとることが必要である。ただし震源域が海岸に非常に近い場合、津波警報・注意報が出される前に、地震発生後数分くらいで津波が襲ってくることがある。海岸地域で強い地震動を感じたら津波の来襲を考慮すべきである。しかし、地震動が小さいからといって津波来襲の可能性が低いわけではない。震源域がはるか沖合いにあったり、地震の性質などで地震動はきわめて弱いが、大きな津波が襲ってくることがある。1896年(明治29)の三陸津波では、三陸地方の震度はせいぜい3程度であったが、地震の約30分後に襲ってきた津波により死者2万6000人余にも上る大被害を出した。このような場合は、津波警報・注意報に従って行動する必要がある。
二次災害のなかでもっとも恐ろしいものの一つとして火災がよくあげられる。1923年(大正12)の関東地震の際の大火災はよく知られている。現代都市は多くの発火源を抱えており、大地震時に発生する火災は同時多発的である。道路の混乱、水道、通信網の破壊により、このような火災を現在の消防力で消し止めるのは困難である。地震動を感じたら、ひとりひとりがまず火を消すことがたいせつである。2011年(平成23)東北地方太平洋沖地震の際の、福島第一原子力発電所事故による広範囲のしかも長期にわたる放射能汚染は、これまでの二次災害とは比較にならないきわめて深刻な被害をもたらすとともに、今後の二次災害対策について大きな課題を突きつけることになった。
現代の大都市が大地震に襲われたら、過去の例からは想像もつかないような大惨事となるであろう。石油タンク火災、化学プラントからの有毒ガスの流出やその爆発、道路上の自動車が招く混乱やその燃料への引火、地下街や繁華街でのパニックなど、枚挙にいとまがない。都市の二次災害対策は市民ひとりひとりの努力もたいせつであるが、それ以上に政府、各自治体は都市計画のなかで防災都市づくりを考えていかなければならない。
1978年(昭和53)に、地震発生の直前予知が可能であるとの前提に基づき、「大規模地震対策特別措置法」が施行された。この法律の特徴は次のようなものである。大地震発生のおそれがあり大きな地震災害が予想される地域を「地震防災対策強化地域」に指定する。その地域内の国の機関、地方公共機関、防災上重要な施設の管理者は、地震災害を防ぐための計画をたて防災対策をとる。大地震の発生のおそれがあるとの予知情報が出された場合には、内閣総理大臣は警戒宣言を出す。この宣言が出された場合には、前出の各種組織は、作成された計画どおりに行動し防災措置を強化する。現在、この法律のもと、地震防災対策強化地域に指定されているのは、駿河湾内を含む東海沖にマグニチュード8程度の地震がおきたとき震度が6弱以上になると予想される地域や大津波が予想される地域などである。しかし、この法律の前提となっている直前予知は、少なくとも現時点では容易ではなく、地震予知に頼らない対策も重要である。遠くない将来におきうると考えられている東南海と南海地域の大地震を念頭に、2003年には「東南海・南海地震に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法」が施行された。「東南海・南海地震防災対策推進地域」として、東南海・南海地震が発生した場合に震度が6弱以上になると予想される地域や大津波が予想される地域などが市町村単位で指定され、地震防災対策が他に優先して実施されることとなった。
[浅田 敏・山下輝夫 2017年6月20日]
地震波の利用
P波やS波などの実体波は震源で発生し、地球内部のさまざまな場所を通って、地震計の置かれてある地表に到着する。多くの観測点に地震計を設置することにより、地震発生後どれだけの時間がたつとどれだけの震央距離の所にこのような地震波が到着するかということがわかる。P波やS波が震源を出て各観測点に到着するまでにかかる時間は、地球内部の構造によって決まる。P波やS波の伝わる速度は物質の弾性的性質によって決まるからである。このことを逆に考えれば、実体波の到着時間を多くの観測点で観測することにより地球内部の構造が推定できるはずである。このような研究の歴史は古く、20世紀初頭から行われている。
震源の浅い地震の場合、レイリー波やラブ波などの表面波が生じることが多い。層をなした媒質を伝わる表面波は、速度が周期(または波長)によって異なるということが知られている。この現象を分散という。分散の仕方、つまり速度が周期によりどのように変化するかということは地下の構造によって決まる。このことを逆に利用して、分散を観測することにより地球内部の構造を推定する研究も行われている。
地中に埋められた爆薬の破裂により発生する地震波を利用して地下の構造を調べる研究も、1920年代ころより行われてきた。このような研究分野を爆破地震学という。また、このようにしておこす地震を人工地震という。人工地震を用いると、震源の位置や震源時が正確にわかる、多数の臨時観測点をまえもって配置できる、地震があまりおこらない場所でも行える、いつでも任意なときに地震をおこさせることができるなど、自然地震を用いる場合に比べていくつかの利点がある。人工地震は地球物理学的研究だけではなく、地殻内のより小規模な構造を調べ、地下の鉱床や、石油や石炭の含まれている層をみいだす目的にも使われている。これらに用いられる方法、技術は地震探査あるいは地震探鉱などとよばれる。地震探査は、ダムや橋などの土木工事の際の基盤調査にも用いられている。
第二次世界大戦後は、海中で人工爆発を起こして海底の構造を調べる研究が盛んになってきた。震源には火薬のほかに圧縮空気の急速な噴出を行うエアガンとよばれるものを用い、海底地震計や水中の圧力変化を記録するハイドロフォンhydrophoneとよばれるもので記録をとる。このような研究により、海洋性プレートの比較的細かな構造や、海溝付近での沈み込みのようすが、しだいに明らかになってきた。
[浅田 敏・山下輝夫 2017年6月20日]
地震の民俗・伝承
世界
地震は人間の生命、生活を脅かす最大の災害の一つであり、そのため昔から多くの民族が地震の原因を説明しようとしてきた。まず、地震は大地を支えているものが動くからだとする説明が広くみられる。メキシコのマヤ語族ツォツィル語系マヤ人では、大地の4本ないし8本の支柱が揺れ動くと地震がおこるという。地を支える、また地下に住む神的存在、巨人、怪物が動くためとする説明は古代ギリシア、ヨーロッパ、朝鮮、南北アメリカ大陸などでみられる。マヤ人のチャムラ村では聖ミゲルが地を背負っていると信じられ、地震はそれと関連づけられる。地下の動物、とくに、牛、亀、魚類の行動を地震の原因と考えることも非常に多い。牛が地を支え、その牛が身動きすると地震がおこるとする考えは、イスラム圏に広く行き渡っている。亀と魚類は、ブリヤート人、ツングース人、アルタイ・タタール人など東北アジアに多い。クリム・タタール人は、大地は巨大魚の背に乗った水牛の一方の角(つの)に支えられており、水牛が疲れて片方の角から別の角に移すとき地震が発生するという。さらに、地震は神的存在の怒りのため、天意、天の裁き、あるいはより悪いことの前兆とする考えも多い。アラブ人はしばしば地震をアラーの怒りととらえる。紀元1世紀ごろのローマでは地震はキリスト教徒のせいにされた。中国では古くから地震を天意ととらえ、その意味を解読しようとした。大地の大変動は社会の大変革、たとえば王朝の交替などと結び付けて考えられることが多かった。なお、地震の原因を科学的に考察しようとする試みも古くからあり、とくにギリシアではエピクロス、デモクリトス、アナクサゴラス、アリストテレスなど、多くの学者が地震発生のメカニズムに言及している。これらはたいてい水、火、風、土などの諸元素間の関係のなかでとらえようとしている。
[板橋作美]
日本
地震は、大地を支えている(あるいは地中にいる)神霊や動物が動くためにおこると伝えている民族が多い。日本では江戸時代以後、地下にいる大鯰(おおなまず)が暴れると地震がおこるという地震鯰の伝えが広く知られており、茨城県鹿嶋(かしま)市の鹿島神宮にある要石(かなめいし)(一名、御座(みまし)の石)で神が鯰を押さえているために、普段は地震がおこらないともいう。しかし、鯰と要石が結び付いたのは江戸初期のことらしく、それ以前の記録にはみえない。むしろ中世の『鹿島宮社例伝記』などでは、要石は地底の金輪際(こんりんざい)から生えた石なので鹿島には地震がないとし、僧由阿(ゆあ)の『詞林采葉(しりんさいよう)抄』(1365)には、鹿島の神がその石に日本国を藤(ふじ)の根でつないでいるとある。琵琶(びわ)湖の竹生島(ちくぶじま)も、金輪際から生えた島として古来有名で、そのために地震がないとする伝えは『源平盛衰記』や『鹿島宮社例伝記』にみえる。大鯰が竹生島の周りを取り巻いているという話も護国寺本『諸寺縁起集』(1345)にはあり、地震鯰の原拠は竹生島であろう。琵琶湖には特産のビワコオオナマズも生息しており、自然条件があっている。
地震魚の観念は東アジアから東ヨーロッパの諸民族に分布するが、仏教的世界観の影響もある。ビルマ(ミャンマー)のシャン人は、尾を口にくわえた巨魚が須弥山(しゅみせん)をのせているという。須弥山は仏教でいう世界の中心で、要石や竹生島も宗教的には須弥山に相当し、しかも鯰が尾を口にくわえているという伝えもある。両地とも仏教信仰の霊場でもあり、地震鯰の伝承にもそうした宗教家の知識が影響しているらしい。アイヌでは、大地をのせているアメマスが暴れると地震になるといい、水を激しく吸ったり吐いたりすると津波がおこるという。鯰は地震の前兆を予知するという俗信もあり、日本の地震鯰もそれなりに古い歴史があるのであろう。琉球(りゅうきゅう)諸島には、大鰻(うなぎ)が動くと地震がおこるという伝えがあり、石垣島では地中の大蟹(かに)がはさみで挟むので、大鰻が暴れるという。類話はフィリピンのミンダナオ島のマンダヤ人にもあり、古風な伝承であることをうかがわせている。大地を支えている巨人が動くと地震がおこるという伝えも、世界の地震多発地帯に広く分布しており、近くは朝鮮にもある。日本では八丈島にあり、達磨(だるま)さんが頭の上に島をのせているが、疲れると、物をのせるために頭の上に置く藁(わら)製の輪をずらすため、地震がおこるといわれている。
[小島瓔]
『浅田敏著『地震』(1973・東京大学出版会)』▽『宇佐美龍夫他著『東京大学公開講座 地震』(1976・東京大学出版会)』▽『羽鳥徳太郎著『歴史津波』(1977・海洋出版)』▽『浅田敏編著『地震予知の方法』(1978・東京大学出版会)』▽『宇佐美龍夫著『大地震』(1978・そしえて)』▽『金森博雄編『岩波講座 地球科学8 地震の物理』(1978・岩波書店)』▽『力武常次著『地震予報・警報論』(1980・学会出版センター)』▽『杉山隆二著『地震 地震学者と地質学者との対話』(1980・東海大学出版会)』▽『ゴードン・B・オークショット著、中村一明訳『地震と火山 大自然の猛威』(1980・サイエンス社)』▽『大屋竹之著『地震と耐震設計』(1980・槙書店)』▽『高橋博著『地震百科』(1980・白亜書房)』▽『萩原尊禮監修『地震の事典』(1983・三省堂)』▽『笠原慶一著『地震の力学』(1983・鹿島出版会)』▽『島崎邦彦・松田時彦著『地震と断層』(1994・東京大学出版会)』▽『ブルース・A・ボルト著、松田時彦・渡辺トキエ訳『地震』(1995・古今書院)』▽『パリティ編集委員会編『地震の科学』(1996・丸善)』▽『池谷元伺著『地震の前、なぜ動物は騒ぐのか 電磁気地震学の誕生』(1998・NHKブックス)』▽『茅野一郎著『環境と人間 地震をしらべる』(1999・小峰書店)』▽『饒村曜著『地震のことがわかる本』(2000・新星出版社)』▽『宇津徳治著『地震学』第3版(2001・共立出版)』▽『長尾年恭著『地震予知研究の新展開』(2001・近未来社)』▽『寒川旭著『地震――なまずの活動史』(2001・大巧社)』▽『茂木清夫著『地震のはなし』(2001・朝倉書店)』▽『望月利男・中林一樹編『大都市と直下の地震――阪神・淡路大震災の教訓と東京の直下の地震』(2001・東京都立大学出版会)』▽『菊地正幸編『地殻ダイナミクスと地震発生』(2002・朝倉書店)』▽『名古屋大学災害対策室編著『東海地震がわかる本』(2003・東京新聞出版局)』▽『神沼克伊・平田光司著・監修、溝上恵・島村英紀他著『地震予知と社会』(2003・古今書院)』▽『藤井敏嗣・纐纈一起編『地震・津波と火山の事典』(2008・丸善)』▽『金森博雄著『巨大地震の科学と防災』(2013・朝日選書)』▽『金子史朗著『活断層と地震』(中公文庫)』▽『山下輝夫編著『大地の躍動を見る――新しい地震・火山像』(岩波ジュニア新書)』
弾性反発説〔図A〕
発震機構の推定〔図B〕
浅い地震の震央分布とプレート境界〔図C…
東北日本付近の地震発生機構〔図D〕
巨大地震の空白域〔図E〕
東海~南海での大地震の繰り返し〔図F〕
気象庁震度階級関連解説表〔表1〕
気象庁震度階級関連解説表〔表2〕
関東大震災の被害(1)
関東大震災の被害(2)
関東大震災の被害(3)
関東大震災の被害(4)