在郷軍人会(読み)ざいごうぐんじんかい

精選版 日本国語大辞典 「在郷軍人会」の意味・読み・例文・類語

ざいごうぐんじん‐かい ザイガウクヮイ【在郷軍人会】

[1] 〘名〙 現役として軍務に服さない軍人の団体の一般的名称。親睦目的から政治的目的の団体まで、さまざまな性格の団体がある。
風俗画報‐二九一号(1904)征露雑項「伏見在郷軍人会壮丁の体操教師に聘せられて、功労多かりしとて三組木杯を送られたることもあり」
[2] 明治四三年(一九一〇)、陸軍省の指導により各地に散在していた在郷軍人の団体を統一してつくられた組織。大正三年(一九一四)には海軍軍人も加わった。本部を中心に、各師団管区ごとに連合支部、連隊区ごとに支部、郡市区単位に連合分会、町村、工場ごとに分会が設けられ、軍事動員の組織としての機能をもっていた。昭和二〇年(一九四五)敗戦とともに解散帝国在郷軍人会

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改訂新版 世界大百科事典 「在郷軍人会」の意味・わかりやすい解説

在郷軍人会 (ざいごうぐんじんかい)

現役として服役していない軍人の団体で,在郷軍人と軍人遺家族の福祉厚生や在郷軍人の戦時動員準備をおもな目的とする。各国各時代によってその性格はさまざまであるが,国家主義,軍国主義的な団体が多い。ドイツでは,対ナポレオン戦争の際に各地に生まれた遺骨収集団,墓参団を母体に19世紀末にドイツ在郷軍人会Kyffhäuserbund der dt.Landeskriegerverbändeという官製組織が結成され,政府の意図に沿いマルクス主義思想や社会民主党勢力に対抗する役割を担った。第1次世界大戦後の欧州各国ではドイツの鉄兜団Stahlhelmやフランスの火の十字団(クロア・ド・フー)のような在郷軍人を主体とする武装集団が多数結成されて革命運動の鎮圧に活躍し,在郷軍人がファシズム運動の発生する一つの社会的基盤となった。アメリカでは1919年結成のアメリカン・リージョンが国防政策や反共政策の推進などの面で,国政に対する有力な圧力団体となっている。

 日本では,日清戦争前後から郡長や町村長によって各地に兵事行政の補助や在郷軍人の管理を目的とする在郷軍人の尚武団体が組織されはじめた。日露戦争を契機として,陸軍省の指導下にこれらの団体を全国的に統合して,1910年11月に任意団体の帝国在郷軍人会が創設された。初代総裁に陸軍大将伏見宮貞愛親王,会長に寺内正毅陸軍大臣をあて,本部理事を陸軍の高級将校が構成し,各地の連隊区司令部に支部を,町村に分会を設置したもので,機関誌《戦友》を発行し,創立当時約100万人,14年からは海軍軍人も加え,30年代には約300万人の在郷軍人を擁した。在郷軍人会の発達は田中義一の指導によるところが大きい。また在郷軍人会は,軍人精神の鍛錬,軍事知識の増進,会員の相互扶助をその目的に掲げた。町村分会は,役場主催の四方拝,天長節,紀元節(昭和期には明治節を加えた4大節)の式典に参列して軍人勅諭の奉読を行い,また入営前の青年に対する壮丁予習教育,入退営兵士の歓送迎会,簡閲点呼の予習,青年団と共同の運動会,射撃会,軍事講話会,陸軍記念日における戦死者の慰霊祭などを主催した。さらに第1次世界大戦後の社会問題,思想問題の発生にともなって,在郷軍人会は国家から天皇制の支配秩序を維持するための国民統合組織としての役割を期待されるようになる。そして清浦奎吾内閣以降の思想善導政策の一翼を担うことによって軍部の指導体制が整備され,実業界からの財政援助,地方行政当局の補助協力を獲得し,国家主義的な精神教化活動を展開するようになった。また米騒動,関東大震災における自警団や労農争議の際のスト破りなど,治安維持,社会運動抑圧の活動にも進出する。26年7月の青年訓練所の設立にあたっては,教練指導員に在郷軍人を配置し青年層への影響力を拡大していく契機となった。

 1930年代にはいると,軍部の戦争政策や国家改造の意図に沿って国防思想普及運動や国体明徴運動を展開し,その大衆動員力はファシズム体制形成の大きな推進力となった。武装移民活動によって満州移民の尖兵(せんぺい)となったのも在郷軍人である。36年9月には在郷軍人会令が公布され,在郷軍人会は勅令団体として陸海軍大臣のいっそう強い監督統制の下に置かれた。第2次世界大戦中は兵士の動員準備,銃後の戦争協力などの活動とともに,翼賛壮年団の幹部や大政翼賛会の推進員に在郷軍人が進出し,翼賛体制を地域社会で下支えする役割を果たした。戦争末期には本土決戦に備えて在郷軍人の精鋭による国土防衛隊が設置されたが,45年8月,帝国在郷軍人会は敗戦とともに解散した。在郷軍人会が戦前戦中の日本社会にこのように大きな影響力を保持した一つの理由には,地域のサブリーダー(中堅人物)となる青年層を国家主義,軍国主義教育によって町村軍人分会幹部として養成することに成功したことが考えられる。

 第2次世界大戦後は,1950年代の再軍備,逆コースの過程で旧軍人の活動が復活し,56年10月には有末精三を代表に日本郷友連盟が結成され,会員45万人を擁する旧在郷軍人の全国的統合体として国防問題,教育問題,憲法改正などで政治的圧力活動を推進している。また59年7月には木村篤太郎を会長に自衛隊退職者の相互扶助団体として隊友会が結成され,70年代にはいって,重工業大経営における労務職制機構への,あるいは基地周辺地域の町内会役員への隊友会員の進出が顕著となっている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「在郷軍人会」の意味・わかりやすい解説

在郷軍人会
ざいごうぐんじんかい

現役として軍務に服さない軍人の団体の一般的名称。特定の戦争に参加した退役軍人や武功をたてた軍人に会員資格を与える場合が多い。単なる親睦(しんぼく)団体から政治的な圧力団体まで、性格はさまざまであるが、多くは退役軍人や家族の福利厚生、生活困窮者の救済、道徳や社会正義の実現などを活動領域としており、一般に愛国的、軍国主義的傾向にある。在郷軍人の団体は古代ローマ時代にすでに存在したが、非軍事的活動を目的とする在郷軍人会が現れたのは19世紀に入ってからで、第一次世界大戦前後には、アメリカの海外戦争復員協会(1914)やアメリカン・リージョン(1919)、イギリスのブリティッシュ・リージョン(1921)などの主要な団体が設立された。フランスには全国在郷軍人連盟などがある。なお、日本では帝国在郷軍人会が1910年(明治43)に組織された。1950年には各国の在郷軍人会の活動を調整する世界在郷軍人連盟がパリで結成された。

[亀野邁夫]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「在郷軍人会」の解説

在郷軍人会
ざいごうぐんじんかい

帝国在郷軍人会(ていこくざいごうぐんじんかい)

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「在郷軍人会」の解説

在郷軍人会
ざいごうぐんじんかい

帝国在郷軍人会

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