在番仮屋跡(読み)ざいばんかやあと

日本歴史地名大系 「在番仮屋跡」の解説

在番仮屋跡
ざいばんかやあと

[現在地名]平良市西里

琉球王府から派遣された在番宿舎の跡。漲水ぴやるみず港から坂道を上った高台にあった。崇禎二年(一六二九)海防体制を強化するため喜舎場親雲上が在番として派遣され、当時は一人制であった(宮古島在番記)。のち宮古島の行政にも深く関与し、実質的に王府の出先機関となる。蔵元から王府への災害・飢饉関係の報告には宮古の頭とともに在番の連名がみえる(宮古島近古文書)。近世末期の異国船来島の対応などは在番名により報じられた。崇禎一二年在番・在番筆者の二人制、順治四年(一六四七)在番一人・在番筆者二人の三人制となり、二年交代で明治一二年(一八七九)廃藩置県まで続いた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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