在日本朝鮮居留民団(読み)ざいにほんちょうせんきょりゅうみんだん

世界大百科事典(旧版)内の在日本朝鮮居留民団の言及

【在日本大韓民国居留民団】より

…略称民団。1946年10月,同年1月に結成された新朝鮮建設同盟が左派の在日本朝鮮人連盟に対抗して在日同胞の自由主義保守陣営の大同団結をすすめるため,朝鮮建国促進青年同盟などの諸団体を合わせて在日本朝鮮居留民団(民団)を結成し,民生安定,文化向上,国際親善などをその綱領とした。48年8月大韓民国が樹立されてから,同年10月民団第2回大会で表題の名称に改められ,綱領もまた大韓民国の国是遵守,在留同胞の民権擁護が加えられた。…

【朴烈】より

…この間,予審調室で2人が同席している写真などが配布され,当局の取調べが手ぬるいとして西田税(みつぎ)ら国家主義者は若槻礼次郎内閣の倒閣運動に利用した(いわゆる〈怪写真事件〉)。朴烈は45年11月まで20余年獄中にあったが,46年1月新朝鮮建設同盟を結成し委員長,同年10月これを在日本朝鮮居留民団(民団)に改組し団長となる。49年民団6全大会で団長選挙に敗れて韓国に帰り,李承晩政権の国務委員となる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」