20世紀日本人名事典 「土肥原 賢二」の解説
土肥原 賢二
ドイハラ ケンジ
昭和期の陸軍大将,教育総監 奉天特務機関長。
- 生年
- 明治16(1883)年8月8日
- 没年
- 昭和23(1948)年12月23日
- 出生地
- 岡山県
- 学歴〔年〕
- 陸士(第16期)〔明治37年〕卒,陸大〔明治45年〕卒
- 経歴
- 大正2年より度々中国に駐在。昭和3年から奉天督軍顧問や奉天特務機関長として満州事変に参画し満州建国に暗躍。7年歩兵第9旅団長を経て、8年再び奉天特務機関長となり関東軍の謀略を担当、10年排日機関の解散を要求して土肥原・秦徳純協定を結び、冀東防共自治政府を樹立させた。このため中国人の怨念の的となり“東洋のローレンス”とまで呼ばれる。その後12年第14師団長、13年には大本営直属の謀略機関として土肥原機関を設立。14年第5軍(満州東部)司令官、15年軍事参議官、陸士校長。16年大将に昇任。太平洋戦争中は16年航空総監、18年東部軍司令官、19年第7方面軍(シンガポール)司令官、20年教育総監、第12方面軍司令官兼第1軍総司令官などを歴任。戦後、東京裁判でA級戦犯として起訴されたが、裁判中1度も証言台に立たず沈黙を通し、23年12月23日絞首刑に処せられた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報