世界大百科事典(旧版)内の土田荘の言及
【土田氏】より
…能登国羽咋(はくい)郡土田荘周辺(現在の石川県羽咋郡志賀町の南域付近)を開発本領とする中世能登国の豪族。治承・寿永の内乱に際し,1183年(寿永2)4月下旬,平氏派遣の追討軍と越前国燧谷(ひうちだに)で戦った北陸道の反乱軍のなかに〈土田〉氏がいたことが,《平家物語》などに見える。…
※「土田荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…能登国羽咋(はくい)郡土田荘周辺(現在の石川県羽咋郡志賀町の南域付近)を開発本領とする中世能登国の豪族。治承・寿永の内乱に際し,1183年(寿永2)4月下旬,平氏派遣の追討軍と越前国燧谷(ひうちだに)で戦った北陸道の反乱軍のなかに〈土田〉氏がいたことが,《平家物語》などに見える。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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