精選版 日本国語大辞典 「土屋安親」の意味・読み・例文・類語
つちや‐やすちか【土屋安親】
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江戸時代の装剣金工家。出羽国鶴岡に生まれる。通称を弥五八といい,初め同郷の正阿弥珍久に学び,1703年(元禄16)江戸に出,奈良辰政に入門した。その作は古来奈良利寿,杉浦乗意とともに奈良三作と称され,賞美された。奈良三作のうちでは最も多くの作品を残しており,鐔(つば),小柄(こづか),縁頭(ふちがしら),目貫(めぬき)と種類も多く(刀装),形の工夫,地金の扱いに秀でている。画題は中国や日本の故事,自然風景などの絵画風のものから,文字,鶴丸透(すかし)などの図案風なものまで多彩であり,象嵌,色絵,鋤出彫(すきだしぼり),肉合彫(ししあいぼり),高彫,毛彫,片切彫などのあらゆる技法を用い,効果をあげている。同期の横谷宗珉とともに町彫(まちぼり)の代表工であるが,後藤家(家彫)の影響の強い宗珉以上に自由・斬新さが見られる。
執筆者:原田 一敏
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(加島勝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
江戸中期の装剣金工家。出羽(でわ)(山形県)庄内(しょうない)の人。通称および初銘を弥五八、のちに安親を名のり、晩年は東雨(とうう)と号す。初め同郷の佐藤(正阿弥(しょうあみ))珍久(よしひさ)に学び、師の娘をめとったが、1703年(元禄16)34歳のとき単身江戸に出て奈良辰政(たつまさ)に入門、やがて独自の安親風を大成して名をなし、奈良利寿(としなが)、杉浦乗意(じょうい)と並んで奈良三作と称賛された。その作域は鐔(つば)、小柄(こづか)、縁頭(ふちがしら)、目貫(めぬき)などにわたり、素材、画題、構図、技法も多種多彩であるが、いずれも大胆で巧みな構図のなかに細心に計算された練達の技を駆使している。「干網千鳥透鐔」「浜松千鳥図鐔」「豊千禅師図鐔」(いずれも重要文化財)などの代表作がある。晩年は安親の名を2代目に譲り、自らは剃髪(ていはつ)入道したが、安親銘を名のる者は6代まで続いた。
[小笠原信夫]
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…横谷宗珉は後藤家流の技法を汲む家に生まれながらその作風にあきたらず,構図に新生面を築いたほか,片切彫を創始し,以後の工人に大きな影響を与えた。また奈良三作の土屋安親,奈良利寿(としなが),杉浦乗意も斬新な意匠と独自の彫技をみせている。安親は鐔の形,意匠に,利寿は雄渾な高肉象嵌・色絵に,また鐔の作は少ないものの乗意は肉合彫の創始者として名工の名をほしいままにした。…
…通称を太兵衛といい,奈良利治の門人とも奈良利永の門人とも伝える。土屋安親,杉浦乗意とならんで,奈良三作の一人に数えられる名工。刀装具の中でも縁頭(ふちがしら)の製作に長じ,鐔(つば)は比較的少ない。…
※「土屋安親」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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