国譲り神話(読み)くにゆずりしんわ

改訂新版 世界大百科事典 「国譲り神話」の意味・わかりやすい解説

国譲り神話 (くにゆずりしんわ)

大国主(おおくにぬし)神葦原中国あしはらのなかつくに)を天照大神あまてらすおおかみ)に献上した次第を語る神話。諸々の異伝があるが,《古事記》によると,葦原中津国平定のために高天原(たかまがはら)からは,はじめに天菩比(あめのほひ)神(天穂日命)が遣わされるが,オオクニヌシと親しみ3年たっても復命しない。次に天若日子(あめわかひこ)(天稚彦)が遣わされるが,オオクニヌシの娘下照比売(したてるひめ)と結婚してこれもまた復命せず,ついには高天原からの矢にあたって死ぬ。最後に出雲に天降った建御雷神(武甕槌(たけみかづち)神)と天鳥船(あめのとりふね)神(紀では経津主(ふつぬし)神)はアマテラスの命令を突きつけてオオクニヌシに国譲りを迫る。オオクニヌシは子の事代主(ことしろぬし)神建御名方(たけみなかた)神服従を誓ったのでその言葉どおりに中津国を献上し,その代りに出雲大社を創建させてそこに隠れる。またコトシロヌシが先頭に立って天孫に仕えたならば国津神(くにつかみ)たちもそれに従うであろう,と誓約する。〈大国主〉とは在地の首長にして朝廷へと服属した国造(くにのみやつこ)を神話的に典型化したものであり,首長たちの頭目として国造りした葦原中国をみずからアマテラスオオカミに献上したとされたのである。つまり国譲り神話は各地の首長たちが朝廷へと服属していった歴史的過程を一回的に典型化して,その由来を語ったものなのである。そしてこの神話を儀礼として表現したものが《出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかむよごと)》の奏上であった(《延喜式》)。これは出雲国造が代替りごとに宮廷に参上して寿詞(よごと)を述べ,諸々の国造の総代として,朝廷への服属を誓う儀式であった。その寿詞によれば,オオクニヌシの和魂(にぎたま)とされたコトシロヌシや大物主(おおものぬし)神が,大和において〈皇孫(すめみま)命の近き守り神〉として仕える次第が語られており,在地の首長が斎(いつ)く国津神たちがオオクニヌシへと統合されて朝廷の守護神へと転化される過程が述べられていた。

 出雲が国譲り神話の舞台となり,出雲国造が代表となって服属するのは,王権の中心地である大和からみて,出雲が日の没する西の辺境に位置している,という神話的な秩序と関連する。こうして神話と儀礼によって朝廷の支配は正当化され,永遠に続くものと信じられたのである。大化前代,朝廷は服属してきた首長層に〈姓名(かばねな)〉を賜与することによって,彼らを国造,伴造(とものみやつこ)などとして組織し,これを通じて在地の人民を〈部(べ)〉などとして支配する族制的な秩序を創り出していたが,やがて有力な首長層を中心として,氏族の祖先を王室の系譜に結合して,王権と〈同族〉的な関係を結ぶようになった。神話や儀礼には,こうした族制的な支配原理と,擬制的な同族組織を最も有効に機能させる働きがあり,そこには血縁的な擬制にもとづいて結合していた人々の独自の思考や想像が表現されてもいた。国譲り神話が生み出された根拠はここにあり,オオクニヌシノカミや出雲国造が天津神(あまつかみ)の系譜に編入されたのもそのためなのである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「国譲り神話」の意味・わかりやすい解説

国譲り神話
くにゆずりしんわ

天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先だち、高天原(たかまがはら)から国土の支配権委譲を求める使者が派遣され、大国主命(おおくにぬしのみこと)がこれを承認し、出雲(いずも)の多芸志(たぎし)の小浜に祀(まつ)られる(出雲大社)話である。『古事記』によれば、第一の使者、天穂日神(あめのほひのかみ)は大国主命に媚(こ)びて命(めい)を伝えず、第二の使者、天若日子(あめのわかひこ)も命を伝えず、問責使(もんせきし)の雉(きじ)を射たために神意によって矢に当たって死ぬ。最後の使者、建御雷神(たけみかづちのかみ)に対し、大国主命の子、事代主神(ことしろぬしのかみ)は委譲すべきと答え、建御名方神(たけみなかたのかみ)は力くらべを挑むが敗れて諏訪(すわ)湖に逃げ降伏し、かくして国譲りが決定する。

 各異伝を参照してみると、第一の使者、天穂日神は出雲臣(おみ)の祖神であり、「出雲国造神賀詞(くにのみやつこのかむよごと)」では大国主命を鎮め祀る重要な記事があり、本来、出雲臣が出雲大社の祭祀(さいし)権を掌握した伝承の主人公であった。第二の天若日子もその伝承の内容の検討から、本来は聖器の弓矢を持って降臨し、地上で再生する神であったと考えられる。第三の使者も、『古事記』では物部(もののべ)氏の剣神、経津主神(ふつぬしのかみ)を全部抹消し、他の異伝では経津主神を主とし、またこの神だけを報告者とするので、物部氏の平定戦を反映した経津主神の伝承の利用から建御雷神への改変のあったことがわかる。この改変の裏には、建御雷神を守護神とした藤原氏の関与が考えられる。事代主神は出雲の言代(ことしろ)(託宣)を反映するとしても、著名な大和(やまと)の葛城(かつらぎ)の神であり、建御名方神は諏訪湖の新しい神である。この2柱の神が、大国主神の祭祀と武力の両面を代表して国譲りを語っていることは、国譲り神話が出雲の服属神話ではなく、国津神(くにつかみ)の天津神(あまつかみ)への随順を語った神話、葦原中国(あしはらのなかつくに)奉献の神話であるととらえるべきであろう。

[吉井 巖]

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旺文社日本史事典 三訂版 「国譲り神話」の解説

国譲り神話
くにゆずりしんわ

天孫降臨に先だち,大国主命が天照大神 (あまてらすおおみかみ) に国を譲ったという出雲系神話
高天原 (たかまがはら) 系の神々が外交折衝によって大国主命らの出雲の神々の支配権を接収したいきさつが記紀にみえるが,国土統一の道程の反映であり,同時に高天原系を優越させる政治的意図がうかがえる。

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世界大百科事典(旧版)内の国譲り神話の言及

【出雲大社】より

…さらに7世紀半ば過ぎの斉明朝に,対新羅・唐関係の緊迫したころ,朝廷から修築の命令が出されたが,これは杵築宮の大きな転機となったとみられる。こうした経緯の後に,中央の史局で《古事記》《日本書紀》の編纂がすすむと,その出雲国譲り神話で,この社の起源を語るようになったらしい。すなわち,《古事記》では,国譲りした大国主命のために多芸志(たぎし)の小浜に立派な宮をつくり,櫛八玉(くしやたま)命が膳夫となって神饌を供えたとし,《日本書紀》ではこの宮を天日隅宮(あめのひすみのみや)と呼び天穂日(あめのほひ)命を遣わして司祭者とした,と記している。…

【日本神話】より

…こうして天菩比(あめのほひ)神(天穂日命)や天若日子(あめわかひこ)(天稚彦)が遣わされるが,最後に派遣された建御雷(たけみかずち)神(武甕槌神)の力によって国津神事代主(ことしろぬし)神建御名方(たけみなかた)神は服従させられ,その父であるオオクニヌシは国譲りを誓う。これを〈国譲り神話〉という。 かくしてアマテラスとタカミムスヒは,あらためてアメノオシホミミの子邇邇芸(ににぎ)命(瓊瓊杵尊)にアメノウズメらの〈五伴緒(いつとものお)〉を従わせ,〈八尺勾玉(やさかのまがたま)〉〈鏡〉〈草薙剣〉をそえて筑紫の日向の高千穂に天降らせた。…

※「国譲り神話」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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