国記(読み)こっき

精選版 日本国語大辞典 「国記」の意味・読み・例文・類語

こっ‐き コク‥【国記】

[1] 〘名〙 その国の歴史記録国紀。〔北史‐魏孝文帝紀
[2] 聖徳太子蘇我馬子とともに編纂したという日本最初の国史の書。蘇我氏滅亡の際、焼失して今は伝わらない。くにつふみ。
※文芸類纂(1878)〈榊原芳野編〉五「其蘇我入鹿(島大臣)上宮大子と共に録せし史も、国記は焚けずして存せしなから」

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「国記」の意味・読み・例文・類語

こっき【国記】[書名]

日本最初の国史書。聖徳太子蘇我馬子そがのうまこと共編したといわれるが、焼失して現存しない。くにつふみ。

こっ‐き〔コク‐〕【国記】

その国の歴史の記録。国紀。
[補説]書名別項。→国記

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「国記」の意味・わかりやすい解説

国記 (こっき)

聖徳太子が蘇我馬子とともに編集したという歴史書。《日本書紀》の推古28年(620)条に〈天皇記及国記,臣・連・伴造・国造・百八十部幷公民等本記を録す〉とある。内容は不明だが,《古事記》の原史料となった《帝紀》《旧辞》のうちの《帝紀》に《天皇記》が相当するとすれば,《国記》は《旧辞》で,神代以来の物語の集成かという。《天皇記》《国記》は蘇我大臣家に伝わり,645年(大化1)大臣家が焼かれたとき,《国記》のみは船恵尺(ふなのえさか)が救いだして中大兄(なかのおおえ皇子に献上したというが残っていない。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国記」の意味・わかりやすい解説

国記
こっき

聖徳太子蘇我馬子によって撰された歴史書。推古 28 (620) 年完成。『天皇記』『臣連伴造国造百八十部并公民等本紀』とともにつくられたとされるが,現在,いずれも伝わっていない。大化改新 (645) の際,蘇我氏の邸とともに『天皇記』と『国記』は焼失し,一部の『国記』だけが持出されたともいう。未完成のまま蘇我氏の邸にあったものと推測する説,あるいは風土記の類ではなかったかとする説もある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「国記」の解説

国記
こっき

推古朝に編纂されたといわれる書。「日本書紀」推古28年(620)条は,聖徳太子と蘇我馬子(うまこ)が「天皇記及国記臣連伴造国造百八十部并公民等本記」を録したとする。皇極紀4年(645)6月条によれば,乙巳(いっし)の変(大化の改新)の際,蘇我蝦夷(えみし)がこれらを焼いたが,船史恵尺(ふねのふひとえさか)が焼かれる「国記」をとりだし,中大兄(なかのおおえ)皇子に献上したという。内容については不明。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

普及版 字通 「国記」の読み・字形・画数・意味

【国記】こくき

国史。

字通「国」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「国記」の解説

国記
こっき

日本最古の歴史書
『天皇記』とともに,聖徳太子が蘇我馬子と編さんしたという。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「国記」の意味・わかりやすい解説

国記
こっき

天皇記・国記

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の国記の言及

【船恵尺】より

…河内国丹比郡の人。645年(大化1)6月,中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を討ち,さらにその父蝦夷(えみし)に迫ったとき,蝦夷は火を放ち〈天皇記〉や〈国記〉,珍宝を焼いたが,恵尺はすばやく〈国記〉をとり出し中大兄に献上した。船氏は王辰爾を祖とする渡来系氏族で,辰爾は欽明朝に船の賦(みつぎ)を数え録する船長(ふねのつかさ)になったため,船史姓を賜ったという。…

※「国記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android