国内航空(読み)こくないこうくう

改訂新版 世界大百科事典 「国内航空」の意味・わかりやすい解説

国内航空 (こくないこうくう)

航空輸送のうち,国内飛行区間のみに限定された運航をいう。ここでいう国内飛行区間とは,本国とその属領,もしくは二つの属領間の飛行をも含み,その飛行中に公海または他国領土の上空を通過する場合も国内航空に含まれる。輸送内容は一般に旅客貨物,郵便に限定され,軍用の航空輸送は除外される。定期便と不定期便があり,飛行区間の性質によって幹線,ローカル線(リージョナル線またはフィーダー線とも呼ぶ)に分類される。航空会社も幹線運航会社,ローカル線運航会社,不定期便・チャーター便運航会社(サプルメンタル・キャリアとも呼ぶ),貨物専門運航会社,ヘリコプター運航会社がある。もちろん多くの航空会社はいくつかの性質をかねそなえている。日本の場合,1997年現在で定期航空運送の免許をうけているのは,日本航空,全日本空輸,日本エアシステム,日本貨物航空,日本トランスオーシャン航空,エアーニッポン日本エアコミューターおよび日本アジア航空の8社であるが,日本アジア航空と日本貨物航空は国内線を運航していない。不定期航空は定期航空事業と兼営している上記8社に加え,航空機使用事業と兼営して遊覧飛行を行っているものが61社ある。

 国内航空輸送の試みは1910年ごろヨーロッパで始まっているが,最初の定期旅客サービスは14年に4ヵ月間就航したアメリカセント・ピーターズバーグ・タンパ航空といわれている。第1次大戦後航空輸送は徐々に発展したが,輸送コストが高く需要は少なく,航空会社は通常たっぷりと補助金が含まれていた郵便輸送に頼っていた。そのなかで国内航空が最も発達したのは国土の広いアメリカとソ連で,とくにアメリカでは大陸横断路線の開発に各社がしのぎを削ったため,30年代には使用航空機の性能向上,旅客数増加がめだった。日本では1922年に日本航空輸送研究所が設立され,堺~徳島間の郵便輸送が開始された。翌年には東西定期航空会の東京~大阪間,日本航空(現在の同名会社とはまったく別)の大阪~別府間に郵便と新聞輸送が始まっている。日本で旅客輸送が始まったのは24年東西定期航空会による東京~大阪間であった。28年10月には日本航空輸送株式会社が創設され,翌年には東西定期航空会と日本航空を吸収,東京~大阪~福岡間の定期運航を開始し,その後,京城(現,ソウル),大連へと路線を拡張した。

 第2次大戦後航空機が大型化・高速化するにつれて,各国の国内航空はめざましい発展をとげた。50年代末にはジェット機が就航,国内主要都市間の旅行時間を大幅に短縮し,つづいて中型ジェット機が地方都市を結んだ。その結果鉄道は航空に長・中距離旅客を奪われた。アメリカでは旅客マイルで計って58年には航空は鉄道を追い越し,78年には交通機関別分担率で12.3%に達している。日本の国内航空の輸送分担率は95年で5.5%である(旅客人キロ)。貨物の分担率では国内航空はどの国でもまだ1%に達していないが,経済の高度化にともなって航空を利用する高付加価値製品がふえている。一方,航空輸送の発展とともに,国内航空に新たな問題が生じた。第1は発着便の増加にともなって1960年代半ばごろから空港に混雑が生じたこと,空港周辺の騒音や大気汚染が進んだこと,空港の拡張や新設に対する反対運動が高まったことである。第2は70年代にはいって,石油危機による燃料コストの急騰と経済成長率鈍化に原因する航空需要伸び率低下が,航空会社の経営を圧迫したことである。第3は国内航空の競争と独占に関する問題である。各国の航空政策は航空育成の立場から航空会社になんらかの独占を与え,保護を加えてきた。しかし民間航空はもはや幼稚産業ではないという認識が高まり,アメリカやイギリスに続き,日本でも80年代半ばから航空規制緩和の動きが目だっている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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