図師(読み)ずし

精選版 日本国語大辞典 「図師」の意味・読み・例文・類語

ず‐し ヅ‥【図師】

〘名〙
① (━する) さしずすること。手引きすること。また、その者。
古代中世国衙領(こくがりょう)荘園で、田図検注帳作成にあたった下級役人荘官
※東南院文書‐天慶三年(940)九月二日・因幡国東大寺領高庭荘坪付「図師擬主帳伴豊雄」 〔名語記(1275)〕

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デジタル大辞泉 「図師」の意味・読み・例文・類語

ず‐し〔ヅ‐〕【図師】

指図・手引きなどをすること。また、その人。
中世、国郡図帳・田図を製作する国衙こくが臨時の役人。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「図師」の意味・わかりやすい解説

図師
ずし

古代・中世、国衙(こくが)や荘園で図帳・検注帳の作成に関わる下級役人・荘官。本来は、令(りょう)に規定された田図・田籍を作成する技術者であったが、平安時代にはすでに作図技術者としての性格はなくなり、坪付・検注等の作成・使用に関与する技術的補助員。12世紀前半を中心に、史料的には「安八郡古老図師僧」「当郡図師僧」などとみえ、国衙機構、とくに郡に属し活動していた。また、「図師擬主帳(ぎのさかん)」「図師判官代(ほうがんだい)」「図師権大掾(ごんのだいじょう)」などといった官名などから郡司クラスが任命されたと考えられる。12世紀後半から13世紀になると、荘園内に給免田(きゅうめんでん)として図師給が設定され、下級荘官職の1つとして図師職(ずししき)が現れる。図師は、田畠などの所在を熟知しており、国衙機構の下級役人として、土地支配の出発点ともいうべき検注作業に参加した。保元3年(1158)5月10日の山城国安祥寺辺田畠在家検注帳案(勧修寺文書)には、「検注図師内蔵助元」などが、国使・郷司らとともにみられ、実際の検注作業を担当した。また、荘園の立券においても、図師は荘民とともに四至内の田畠・在家・栗林の所在確認などを行い、立券の際の重要な役割を担っていた。しかし図師職の成立によって、図師の地位は得分化し、次第に姿を消していった。室町時代以降、『庭訓往来(ていきんおうらい)』にみられるように、指図する者・手引きする者という意味に用いられるようになった。

[松井吉昭]

『田中寿朗著「平安・鎌倉時代の図師」(竹内理三編『荘園絵図研究』所収・1892・東京堂出版)』

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改訂新版 世界大百科事典 「図師」の意味・わかりやすい解説

図師 (ずし)

古代,中世における国衙の臨時の職務の一つ,およびその担当者。平安時代には,擬主帳,権大掾,判官代といった官名などからみて,郡司クラスが任じられていたとみられる。そして〈当郡図師僧〉とか〈郡図師〉と史料にあるように,ほぼ郡単位に図師が存在して,国衙の下知に従っていたと考えられる。鎌倉時代に入ると,荘園の給免田にも図師給が設定され,下級の荘官職の一つとして図師職が現れる。彼らは田畠などの所在を熟知し,主として土地支配の台帳類の作成などにあたった。一国単位でなされた検田や検畠に際しては,条里坪付に詳しい彼ら図師たちが実際の検注作業を担当した。1158年(保元3)5月の山城国の一国検田では,〈検注図師〉として〈内蔵助元〉などの名がみられる。また荘園の立荘(立券)などにおいても,図師が荘民とともにその四至(しいし)(領域)内にある田畠・在家・栗林等を確定する作業を行った。しかし図師職の成立によって得分権化し,図師はしだいに姿を消す。室町時代以降では,《庭訓往来》にみられるように,もっぱら手引きすることないし指図することの意味に用いられるようになる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「図師」の意味・わかりやすい解説

図師
ずし

律令制や荘園制のもとで国郡や荘園の田図 (→荘園図 ) を作成する職。古代,国衙に所属し,また荘園でも,荘官として図師をおき,名田を支給したところがある。

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