四郎ヶ原宿(読み)しろうがはらじゆく

日本歴史地名大系 「四郎ヶ原宿」の解説

四郎ヶ原宿
しろうがはらじゆく

[現在地名]美祢市大嶺町西分 四郎ヶ原

赤間関あかまがせき街道(中道筋)に設けられた近世宿駅で、市も立った。大嶺おおみね村の南、厚保あつ村境に近く、南流する厚狭あさ川の中流域に位置する。北は河原かわら宿を経て萩の唐樋からひ札場まで一〇里半、南西吉田よしだ宿(現下関市)を経て赤間関(現下関市)まで八里の距離である。

享保一六年(一七三一)に設けられたとされ、「注進案」によれば、人足三〇人、馬一〇が置かれ、七五の家があった。しかし当時は、「辺鄙の在所なれば店棚を出す者は稀にて、専農業のみ相営み、偶商賈をなす者あれども農務の余暇にて相営み、されども田畠持ざる者は宿人足・馬方・奉公・日傭働にて渡世仕、外に銭儲無御座困究仕候」と同書が記すように、閑散とした宿場であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報