四万十(町)(読み)しまんと

日本大百科全書(ニッポニカ) 「四万十(町)」の意味・わかりやすい解説

四万十(町)
しまんと

高知県南西部の高岡(たかおか)郡にある町。2006年(平成18)、高岡郡窪川町(くぼかわちょう)、幡多(はた)郡大正町(たいしょうちょう)、十和村(とおわそん)が合併して成立。北西は四国山地で愛媛県と接し、東南部は土佐湾に臨む。四万十川(渡(わたり)川)が東部を南下し、西に方向をかえ南流してきた檮原(ゆすはら)川を合流、穿入(せんにゅう)蛇行しながら南部を横断している。JR土讃(どさん)線が高知市方面から窪川まで通じ、その先は予土(よど)線が宇和島に、土佐くろしお鉄道が宿毛(すくも)に至る。また、国道56号、381号、439号が通り、高知自動車道の四万十町中央、同東、同西の各インターチェンジがある。林野率は90%に近く、東部を南流する四万十川流域に平均標高200メートルの高南(こうなん)台地があり、穀倉地帯をなす。中・西部は四万十川と檮原川沿いにわずかに平野がある。

 縄文時代の遺跡では、西部の四万十川流域の広瀬遺跡から多くの石錘(せきすい)が出土し、漁網を使用する淡水漁業が盛んであった。四万十川上流の河岸段丘にある神西遺跡(こうのさいいせき)は南四国における弥生中期末の標準遺跡。中世、西部は幡多(はた)荘、東部は仁井田(にいだ)荘に含まれた。四万十川東岸の窪川は、戦国時代に仁井田五人衆の一人窪川氏が茂串山(しげくしやま)城を築き、江戸時代には土佐藩家老山内氏の土居屋敷があった。中村街道(国道56号)と伊予宇和島への道の分岐点という立地条件から町場が形成された。

 農業は米作のほかシイタケ、クリ、スプレー菊などが特産で、林業スギヒノキ用材、また養豚などの畜産も盛ん。四万十川はアユなどの淡水魚漁で知られる。東南部の三崎半島を中心とする白砂青松、断崖の海岸線は興津(おきつ)県立自然公園に含まれる。旧竹内家住宅は江戸時代中期の山村民家建築として国指定重要文化財。樹齢700年といわれる国指定天然記念物の仁井田のヒロハチシャノキ、四国八十八か所第37番札所の岩本寺がある。面積642.28平方キロメートル、人口1万5607(2020)。

[編集部]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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