精選版 日本国語大辞典 「喜多六平太」の意味・読み・例文・類語
きた‐ろっぺいた【喜多六平太】
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能のシテ方、喜多流14世宗家。母は12世喜多能静(のうせい)の三女。旧幕臣宇都野鶴五郎の二男として東京に生まれる。幼名千代造。1881年(明治14)7歳で喜多宗家を継ぎ、のち六平太を名のる。号は能心。流儀再興に辛苦し、芸術面でも一貫した指導者に恵まれなかったが、独自の芸風を打ち立てた。とりわけ、気迫の強さ、鮮烈な技(わざ)、表現の自在など、追随を許さぬ名人であり、能界最長老として後進の指導にあたった。1947年(昭和22)日本芸術員会員。53年文化勲章受章。55年重要無形文化財保持者に認定。73年に再建された喜多能楽堂は、彼の名をとって14世喜多六平太記念能楽堂と命名された。養子に15世宗家喜多実(みのる)がいる。なお六平太は流祖喜多七大夫(しちたゆう)の幼名で、12世能静もこれを称し、現在喜多長世も16世六平太を名のる。
[増田正造]
『喜多六平太著『六平太芸談』(1965・同文舘出版)』
能楽師,シテ方喜多流14世宗家。東京生れ。幼名,千代造。父宇都野鶴五郎は幕臣,母まつは12世宗家喜多六平太能静の三女。1879年喜多家に入籍,84年宗家継承,94年六平太を襲名した。実名は六平太能心。幼時は喜多流が極度に衰微した時期で,師匠運に恵まれず,分家や多くの弟子家に師事して苦心のすえ独創的な芸を確立,流儀を隆盛に導いた。力強い謡と型による絢爛(けんらん)として変幻自在の演技,曲ごとに内容把握を示す理知的な芸風で知られた。1963年以後は舞台を引退したが,最後まで後進へのきびしい指導と助言を行った。1947年芸術院会員,53年文化勲章受章,55年重要無形文化財保持者各個指定(人間国宝)に認定。後継者に逸材が多く,養嗣子15世宗家喜多実(1900-86),その実兄で人間国宝の後藤得三(1897-1991),友枝喜久夫(1908-96)らがいる。著書に《六平太芸談》がある。
→喜多流
執筆者:羽田 昶
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