喜入町(読み)きいれちよう

日本歴史地名大系 「喜入町」の解説

喜入町
きいれちよう

面積:六一・二九平方キロ

薩摩半島の東端南寄りに位置し、揖宿郡北端にあたる。東は鹿児島湾に臨み、北は鹿児島市、北西は川辺郡知覧ちらん町、南西は頴娃えい町、南は指宿いぶすき市に接する。西部は北の烏帽子えぼし(五二一・九メートル)からあら岳を経て種子尾たねお(四九七・四メートル)へと山々が連なり、鹿児島湾へと緩やかに傾斜した地形で、山麓から東流する小河川沿いの低平地に小集落が形成されている。海岸沿いを国道二二六号とJR指宿枕崎線がほぼ並行して南下し、北から瀬々串せせくし中名なかみよう・喜入・前之浜まえのはま生見ぬくみの駅がある。昭和五二年(一九七七)当町西端を走る指宿スカイラインの頴娃インターと谷山たにやまインターの区間が開通し、千貫平せんがんびらなど各所に展望施設が置かれている。国道二二六号から喜入市街で県道知覧―喜入線が、生見で県道飯山いいやま―喜入線が分岐している。

鹿児島湾沿いの台地上と八幡はちまん川流域に点々と遺跡が所在している。生見の帖地ちようち遺跡でナイフ形石器や細石刃など旧石器時代の石器が多数発見されている。同遺跡や中名のドノウエ遺跡などからは縄文時代後期の土器が多量に発見され、この時期の拠点集落と想定されている。瀬々串の梅木渡瀬うめのきわたぜ遺跡では縄文晩期の住居跡も発見された。古墳時代になると瀬々串地区を中心とした台地上に大きな集落が営まれ、野畑のばた遺跡や小六郎ころくろ遺跡では四世紀頃の住居跡が見つかっており、鉄製、土製のメンコ・錘、石錘、軽石製の陰陽石・舟形などが出土

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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