出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
天台僧源算が長元三年(一〇三〇)に伽藍を建立したのに始まるという(西山善峰寺略縁起・「元亨釈書」)。源算は因幡の人、異常な難産で生れ「不祥の子」として路傍に捨てられたが、三日を経ても無傷に育ったため、隣人が奇特として養育、成人して近江比叡山に上ったという。この間慧心に師事、後年西山の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市西京区大原野にある天台宗の寺。西山と号し,西国三十三所観音霊場の第20番札所。〈ぜんぶじ〉ともいう。1030年(長元3)源算上人の建立と伝え,本尊千手観音の霊験で名高い。鎌倉時代に慈円の弟子観性・証空が入寺して興隆につとめ,以降三鈷寺とともに浄土宗西山派の拠点にもなった。後嵯峨天皇の勅願所となり,中世には法親王の入寺が続いて〈西山宮〉とも称されている。応仁の乱の兵火で荒廃したが,江戸時代に徳川綱吉の生母桂昌院が寺領を寄せ,堂舎を再興。現諸堂はほとんどこのときの再建である。木の葉がくれに点在する諸堂の景観,山腹の寺地から見渡す京都盆地の景色はすばらしく,また境内には謡曲でなじみの〈西行桜〉,枝の長さが20m以上もあってさながら竜が地をはうような五葉の松〈遊竜松〉などがある。
執筆者:藤井 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
京都市西京(にしきょう)区大原野小塩(おしお)町にある天台宗の寺。西山(にしやま)と号する。本尊は千手観音(せんじゅかんのん)。西国三十三所第20番札所。1029年(長元2)源算上人(げんさんしょうにん)の開基。以後、代々法親王が入山し、西山御坊(にしやまごぼう)と称された。初め良峰寺と書いたが、後鳥羽(ごとば)天皇が善峰寺と改め、官寺に列した。1213年(建保1)法然(ほうねん)(源空)の弟子証空(しょうくう)が住して浄土法門を広め、のちその一派を西山(せいざん)派という。応仁(おうにん)の乱に兵火にかかり焼けたが、豊臣(とよとみ)秀吉が復興し、徳川綱吉(つなよし)の母桂昌院(けいしょういん)が再興に努力した。多宝塔(国重要文化財)、経蔵、本堂、楼門、薬師堂など多くの堂塔が建ち並ぶ。境内にある桂昌院の手植えと伝える五葉松(遊龍(ゆりゅう)松という)は国の天然記念物。
[田村晃祐]
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