けい‐・する【啓】
※大和(947‐957頃)一六八「五条の后(きさい)の宮より、内舎人を御使にて山々尋ねさせ給ひけり。〈略〉少将大徳うちなきて、〈略〉『かぎりなき雲ゐのよそに別るとも人を心におくらざらめやは、となむ申しつるとけいしたまへ』といひける」
② (特に、記録体など、漢文調の文章で) 相手を敬って、申し上げる、言上するの意に用いる。
※東寺百合
文書‐ほ・(天承元年カ)(1131か)五月二六日・左大史小槻政重請文「他事追可
レ令
レ啓候」
[補注]「奏す」「啓す」は、帝・院・后・東宮といった限られた相手にのみ用いられるところから、絶対
敬語といわれる。しかし、「啓す」は、往来物等では、単に貴人に対して申し上げるという意味で使用されており、また、「宇津保物語」では、「院」に対して申し上げる意味の
用法が目立つ。当時、あるいは厳密な
区別なしに用いられたものか。
けい【啓】
[1] 〘名〙
① 令の編目である公式令
(くしきりょう)に定められた
公文書の
様式の一つ。令旨に対して、皇太子および三后に下から奉る文書。
※令義解(718)公式「奉
レ令依
レ啓。若不
レ依
レ啓者。即云。令処分。云々」
※御湯殿上日記‐文明九年(1477)一二月二九日「日野の中納言ひろ光の卿けいをそうす」
③ 奈良時代の
私文書で、個人の間でとりかわされた往復書状。
※
正倉院文書‐天平宝字七年(763)五月二四日・安都雄足啓「
謹啓 借請黒米参斛伍斗 小豆伍斗〈略〉今具
レ状、謹啓」
④ 近代以後、
手紙のはじめに書いて
敬意を表わす語。「拝啓」より、敬意が少ない。
※都の友へ、S生より(1907)〈国木田独歩〉「啓、
小生は近頃流行の問答体にて此書状を認め」
[2] 中国古代の伝説上の王。夏の
禹王(うおう)の子。姓は姒
(じ)。
禅譲によって帝位についた益に代わり、禹の徳を思う
諸侯に推されて
即位。この時から世襲王朝制が始まったという。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
啓
けい
公式令(くしきりょう)に規定された文書の一様式。皇太子および三后(さんこう)(皇后、皇太后、太皇太后)に上申するとき用いる文書。諸役所、私人が事を皇太子に上申するとき、文書を春宮坊(とうぐうぼう)に送り、春宮坊の啓をもって皇太子の認可を仰ぐこととなっていた。三后は皇太子の場合と同じ規定であった。しかし奈良時代に個人間の私的書状にも「啓」「謹啓」などと書いたものがある。現在、手紙の書出しに使われる「謹啓」「拝啓」などはこの名残(なごり)である。
[百瀬今朝雄]
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デジタル大辞泉
「啓」の意味・読み・例文・類語
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けい【啓】
公式様(くしきよう)文書の一つ。皇太子および皇后,皇太后,太皇太后に対して,その司から上申する文書。養老公式令に春宮(とうぐう)坊の啓の様式が規定されている。それによれば最初に〈春宮坊啓〉と書し,その次に本文を書き,書き止めの語は〈謹啓〉,次に年月日を記し,位署欄は大夫位姓名,亮位姓名とならべて署す。三后にあてるものもこれに準じた。六国史などにみられるが,内容的には書式のととのったものではなく,比較的早くに用いられなくなったと思われる。
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世界大百科事典内の啓の言及
【奏議】より
…古くは上書といい,漢代では章,奏,表,議などといった。魏・晋時代以後は啓といい,唐・宋時代では表,状,剳(さつ),書などともよばれた。内容は政治の得失を論じるのが多いが,儀式や謝恩や天変地異について述べる場合もある。…
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