商務印書館(読み)しょうむいんしょかん(英語表記)Shāng wù yìn shū guǎn

精選版 日本国語大辞典 「商務印書館」の意味・読み・例文・類語

しょうむ‐いんしょかん シャウムインショクヮン【商務印書館】

中国出版社。一八九七年上海創設。「辞源」「四部叢刊」「王雲五大辞典」などの辞書・叢書・教科書から西洋古典に及ぶ幅広い出版事業を行なう。一九五四年総館を北京移転

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デジタル大辞泉 「商務印書館」の意味・読み・例文・類語

しょうむいんしょかん〔シヤウムインシヨクワン〕【商務印書館】

中国、上海で1897年に設立された出版社。多数の辞典・叢書などを刊行、また、中国古典の復刻、外国図書の翻訳出版などを行い、学術・文化に貢献。現在、中国・香港台湾などに分かれて活動している。

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改訂新版 世界大百科事典 「商務印書館」の意味・わかりやすい解説

商務印書館 (しょうむいんしょかん)
Shāng wù yìn shū guǎn

清末・民国期の中国最大の出版社。1897年(光緒23)夏瑞方ら4人によって上海に設立。編集部を重視して小学,中学の教科書出版によって基礎を固め,《東方雑誌》(1904創刊)《小説月報》等の雑誌を発刊,また《辞源》《中国人名大辞典》などの工具書,実用書から文学に及ぶ広範囲の出版で各層需要を満たし,他に先がけて新しい印刷技術を輸入するなどして出版界の筆頭にのしあがり,一時は1日1冊をモットーに中国出版物の半分を占めるほどの勢力を誇った。民国期のこの社の代表的人物は張元済と王雲五である。張元済は早くから編訳所所長として編集に腕を振るい,おもに古典籍の整理復刻を行った。《続古逸叢書》(1919),《四部叢刊》(1920-35),《百衲本二十四史》(1930),《四庫全書珍本》(1933),《叢書集成》(1935)などの大型出版はみな彼が手がけた。

 また1921年編訳所所長に就任した王雲五は西洋文化に詳しく,おりからの新文化運動の波にのり業績を伸ばし,28年には〈四角号碼〉という画期的な漢字検索法を考案して辞書類に大改革を加え《王雲五大辞典》を出版,また洋の東西の名著を集めた《万有文庫》(1929)を編集出版した。これらの出版のための収書も積極的に行い,初めは涵芬楼(かんふんろう)に集め,のちには東方図書館として公開し,東洋一の蔵書量であったが,社址の上海閘北が1932年いわゆる上海事変の主戦場となり,日本軍の砲火のためにすべて灰燼(かいじん)に帰した。民国期を通じての活動は中国出版界に大きな比重を占めたが,その出版物は概して保守的な傾向が強かった。日本敗戦後王雲五は蔣介石とともに台湾にわたり〈台湾商務印書館〉として継続し,大陸に残った方も同名のまま継続,中華人民共和国成立後はおもに海外社会科学書および工具書の出版を行い,国家出版局直属出版社の一つである。
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百科事典マイペディア 「商務印書館」の意味・わかりやすい解説

商務印書館【しょうむいんしょかん】

清末・民国期の中国最大の出版社。1897年上海で創立。一時は日本との合弁会社であった。各種の教科書,参考書,《東方雑誌》《小説月報》等の雑誌また,《四部叢刊》《叢書集成》《万有文庫》など中国の古典,および外国図書の翻訳出版も行った。また1924年,上海に東洋一の蔵書量をもつ東方図書館を創立,経営し,一時は中国の出版物の半分を占めるとされた出版活動と合わせて,中国文化の発展に大きく寄与した。しかし,東方図書館は1932年の上海事変で日本軍の砲撃のために焼失,商務印書館と中華民国政府は世界に日本軍の蛮行を訴えた。現在は中国本土の北京商務印書館,香港商務印書館,台湾商務印書館に分かれて出版活動を継続している。1993年には印書館五地(北京,香港,マカオ,シンガポール,マレーシア)の合資会社・商務印書館国際有限公司が設立されている。
→関連項目王雲五

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