世界大百科事典(旧版)内の品井沼干拓の言及
【大郷[町]】より
…町域の南部,北部は丘陵で,中央を鳴瀬川の支流吉田川が東流する。現在は水田が広がる吉田川沿岸はかつては低湿地で,吉田川の遊水池としての機能をもっていたが,元禄年間(1688‐1704)から仙台藩の直営で品井沼干拓工事が行われて新田が開発された。明治以降も河川改良や排水工事が進められ,穀倉地帯にかわった。…
※「品井沼干拓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…町域の南部,北部は丘陵で,中央を鳴瀬川の支流吉田川が東流する。現在は水田が広がる吉田川沿岸はかつては低湿地で,吉田川の遊水池としての機能をもっていたが,元禄年間(1688‐1704)から仙台藩の直営で品井沼干拓工事が行われて新田が開発された。明治以降も河川改良や排水工事が進められ,穀倉地帯にかわった。…
※「品井沼干拓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新