和田岬(読み)ワダミサキ

デジタル大辞泉 「和田岬」の意味・読み・例文・類語

わだ‐みさき【和田岬】

神戸市兵庫区、大阪湾に突出する岬。神戸港の西にあり、造船などの工業地。江戸幕府が設けた砲台が残る。わだのみさき

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日本歴史地名大系 「和田岬」の解説

和田岬
わだみさき

兵庫区和田崎わださき町にある岬。兵庫港の南端にあたる。沿岸流によって運ばれた土砂が東に向かって堆積、その土砂によって形成された砂嘴は西風を防ぎ、その地勢から岬の東側が港の適地となり、古くから大輪田泊おおわだのとまりとして知られる(→大輪田泊・兵庫津。「行基年譜」に引く天平十三年記に「大輪田船息、在摂津国兎原郡宇治」とみえ、また天平二年(七三〇)行基は摂津国兎原うはら宇治うじ郷に「船息院・尼院」を建立したという。郡境については問題を残すもののこれらは兵庫港の前身である大輪田泊に関連するものであろう。この岬を船舶が行き来する様子は「梁塵秘抄」の「須磨の関 和田の岬をかい廻うたる車船 牛窓かけて潮や引くらん」などの歌にもうかがえる。

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改訂新版 世界大百科事典 「和田岬」の意味・わかりやすい解説

和田岬 (わだのみさき)

兵庫県神戸市兵庫区にあり,神戸港を抱くように南東にはりだした岬。〈わだみさき〉ともいう。岬の北側が古代大輪田泊(おおわだのとまり)である。六甲山地から南流する湊川によって形成された砂州であるが,はんらんを避けるため明治中期に湊川の河道が付け替えられた。また瀬戸内海から神戸に入港する小型船はこの岬による潮流と風に悩まされ,このため明治中期に岬の基部に兵庫運河が開削された。付近は造船をはじめとする重工業地区で,山陽本線兵庫駅から和田岬まで支線が通じる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「和田岬」の意味・わかりやすい解説

和田岬
わだみさき

神戸市南部、兵庫区にある瀬戸内海に突き出た岬。塩屋、垂水(たるみ)方面から沿岸流によって運ばれた土砂が堆積(たいせき)してできた砂嘴(さし)で、神戸港の西部を占める兵庫港を抱くような形をしている。明治以後、岬には三菱(みつびし)重工業神戸造船所やその関連工場が立地し、現在、阪神工業地帯の一部をなしている。三菱重工の構内に和田岬砲台(国の史跡)がある。江戸幕府が海防のため設けたもので、1864年(元治1)の築造である。

[藤岡ひろ子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「和田岬」の意味・わかりやすい解説

和田岬
わだみさき

兵庫県神戸市,旧湊川の三角州とともに神戸港をいだくように大阪湾に突出した岬。明石海峡方面から東流する沿岸流で形成された砂嘴で,文久1 (1861) 年海岸防衛のため江戸幕府が建設した高さ約 12mの砲台があり史跡に指定。付近一帯は明治以後,重工業地区となり,砲台は造船所内の工場に取囲まれている。

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世界大百科事典(旧版)内の和田岬の言及

【和田岬】より

…また瀬戸内海から神戸に入港する小型船はこの岬による潮流と風に悩まされ,このため明治中期に岬の基部に兵庫運河が開削された。付近は造船をはじめとする重工業地区で,山陽本線兵庫駅から支線の和田岬線が通じる。【小森 星児】。…

※「和田岬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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