呉茂一(読み)クレシゲイチ

デジタル大辞泉 「呉茂一」の意味・読み・例文・類語

くれ‐しげいち【呉茂一】

[1897~1977]西洋古典文学者。東京の生まれ。秀三長男東大・名古屋大教授。ギリシャ神話研究に力を注ぎ、邦訳多数。「イリアス」の翻訳読売文学賞、ギリシャ叙情詩の訳詩集「花冠」で日本翻訳文化賞。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「呉茂一」の意味・わかりやすい解説

呉茂一
くれしげいち

[生]1897.12.6. 東京
[没]1977.12.28. 藤沢
西洋古典文学者。呉秀三の長男。 1925年東京大学英文科卒業。 26~28年イギリスとオーストリアに留学,古典学を学んだ。第一高等学校教授を経て,49年東大文学部教授。 63~66年ローマの日本文化会館初代館長をつとめた。ギリシアラテン文学に関する造詣が深く,神話構造を分析した『ギリシア神話』 (1969) をはじめ,『イーリアス』 (53~58) ,『ギリシャ抒情詩選』 (59) ,『オデュッセイアー』 (71~72) など訳著も多い。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「呉茂一」の意味・わかりやすい解説

呉茂一
くれしげいち
(1897―1977)

西洋古典学者。東京生まれ。東京帝国大学英文科卒業。日本の精神病学を確立した呉秀三の長男。イギリス、オーストリアに留学後、旧制第一高等学校教授となる。ギリシア、ラテン文学に造詣(ぞうけい)が深く、とくにギリシア神話の体系的研究と啓蒙(けいもう)に力を注いだ。『イーリアス』(1953~58)、『オデュッセイア』(1971~72)のほか、ギリシア悲劇喜劇をはじめ、叙情詩の翻訳多数。著書に、名訳とうたわれた『花冠』(1973)、随想集『アクロポリスの丘に立って』(1976)など。なお1963年から4年間、ローマの日本文化会館館長を務めた。

[岩崎武夫]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「呉茂一」の解説

呉茂一 くれ-しげいち

1897-1977 昭和時代の西洋古典文学者。
明治30年12月6日生まれ。呉秀三の長男。ヨーロッパでギリシャ・ラテン文学をまなぶ。昭和24年東大教授。33年名大教授。38年在ローマ日本文化会館館長。ギリシャ神話の研究と翻訳につとめ,34年「イーリアス」の翻訳で読売文学賞,48年「花冠―呉茂一訳詩集」で日本翻訳文化賞。昭和52年12月28日死去。80歳。東京出身。東京帝大卒。

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世界大百科事典(旧版)内の呉茂一の言及

【呉秀三】より

…日本の近代精神医学の基礎を築いた人。江戸に生まれる。父は呉黄石(浅野藩医),母はせき(洋学者箕作阮甫(みつくりげんぽ)の長女)。1890年に東京大学医科大学卒業。その後,精神病学を榊俶のもとで学び,97年に渡欧し,ウィーン,ハイデルベルク,パリなどに留学した。4年間の留学の後半は,E.クレペリンのもとで学び,その精神病分類の体系を日本に導入した。1901‐25年の間,東京帝国大学医科大学教授として精神病学講座を担当し,1903年には三浦謹之助とともに日本神経学会を創立した。…

※「呉茂一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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